2021年08月30日
誤読して行動し、冗談で企画書を書く
杣ブックス細井さんとの対談から丸1日以上たった今も、胸に残るキーワードがある。
誤読、そして冗談。
4年前、日本橋の「本との土曜日」で細井さんが言っていた「ぜんぶ冗談なんすよ」っていう言葉がやっとわかった。(誤読だけど)
人は皆、誤読する自由を持っている。
いや、というより、ひとりひとりが異なる感覚受容器を持っているのだから、「誤読」は前提である。
「本を真に受けて、行動する。」
その行動は誤読に基づいていて、だからこそ「冗談」なのだ。
逆に言えば、本は誤読する自由をくれる。
それは教科書にはない(あるけども要素としては少ない)ものだ。
取材インターンひきだしでのキーワードである「違和感」「違和感の表明」の難しさはそこにあるのかもしれない。
本はキケンなものだし、本屋はキケンな場所だ。そこには誤読し、行動に移してしまうようなアブない本たちがある。
そんな「誤読する自由」を味わうのに、例えば中学生高校生なら、どんな本を読んだらいいのだろう?
いま見えている世界が唯一の世界ではないかもしれない。
そんな本。
やっぱり坂口恭平さんの
「隅田川のエジソン」(幻冬舎文庫)と
「独立国家のつくり方」(講談社現代新書)
かなあと思う。
そんなことを思っていたら、目の前に入ってきた本。

「お金の学校」(坂口恭平 晶文社)
久しぶりに読んだ坂口節が、細井さんからもらった問い(というか違和感)に
合っていたので少し紹介します。
~~~
経済とはあらゆる流れの総体であって、一つの流れだけを指すのではありません。
今、人々は経済を一つの「お金の流れ」と断定してしまっています。しかし、実際はいろんな流れがあります。
もちろん、経済もまた自然のものです。だから植物みたいに、切っても、別のところから生えてきます。人間の合理性と植物の合理性はまったく違います。植物の合理性によるツルの生え方、伸び方は人間の合理性から捉えると矛盾そのものになります。植物は切られても平気です。むしろ喜んで伸びていきます。踏まれることも切られることも腐ることも全部喜びに変えちゃいます。そんなふうに合理性もまた自然界には無数に存在しています。経済もまた然りなのです。
重要なのは、自分が必要だと思うものを、楽しく流れを感じながら獲得することです。楽しくないところには、流れが発生しません。つまり、そこにはお金は生まれるかもしれないけど、経済は発生しません。
~~~
経済とは「流れ」である、と坂口さんは言います。
細井さんの本を真に受けて(誤読し)、行動(表現)すること。って、ここでいうところの「流れ」のような気がします。
オンラインツルハシの第1部で話した生物としてヒトっていうのにも通じてくるような気がします。
そこで、坂口さんから提案があります。
「企画書を書け」です。
お店をつくりたいと思ったら、
理想の場所はどこか?を考え、その場所の家賃がいくらか?を実際に不動産屋に行って問い合わせ、図面を書いてみる、ということ。お客さんの客単価はこれぐらいで、毎月の売り上げがこれくらいになるから、なんとかやっていけそうだな、と。
これ、いいじゃん。中学生高校生にめちゃめちゃオススメ。
「マイプロ」って結局こういうことなのではないか、って。
自分だけの企画書を書くっていうこと。企画書を完成させることではなく、企画書をつくっていくプロセスに学びがあるということ。
その企画書づくりは、「誤読」から始まるのではないか、っていうこと。
教科書やSDGsのような「正解」から始まらないのではないか、っていうこと。
いや、始まってもいいと思うけど、そこに楽しさや坂口さんの言うところの「流れ」があるか?っていうこと。
大切なのは、「誤読」する機会をたくさん持つこと。真に受けて、行動し始めること。
だから、本があり、地域の大人がいて、さまざまな課題がある。
それらは教科書と違い誤読を前提としている。「誤読」しかないんだ。
「誤読」して行動し、冗談で企画書を書く。それを繰り返す。
高校時代、大学時代にやることってそういうことなのではないか。
その入り口をつくっていくキケンな本屋を、僕はつくっていきたいのかもしれない。
安西先生、そんな本屋がしたいです。
誤読、そして冗談。
4年前、日本橋の「本との土曜日」で細井さんが言っていた「ぜんぶ冗談なんすよ」っていう言葉がやっとわかった。(誤読だけど)
人は皆、誤読する自由を持っている。
いや、というより、ひとりひとりが異なる感覚受容器を持っているのだから、「誤読」は前提である。
「本を真に受けて、行動する。」
その行動は誤読に基づいていて、だからこそ「冗談」なのだ。
逆に言えば、本は誤読する自由をくれる。
それは教科書にはない(あるけども要素としては少ない)ものだ。
取材インターンひきだしでのキーワードである「違和感」「違和感の表明」の難しさはそこにあるのかもしれない。
本はキケンなものだし、本屋はキケンな場所だ。そこには誤読し、行動に移してしまうようなアブない本たちがある。
そんな「誤読する自由」を味わうのに、例えば中学生高校生なら、どんな本を読んだらいいのだろう?
いま見えている世界が唯一の世界ではないかもしれない。
そんな本。
やっぱり坂口恭平さんの
「隅田川のエジソン」(幻冬舎文庫)と
「独立国家のつくり方」(講談社現代新書)
かなあと思う。
そんなことを思っていたら、目の前に入ってきた本。

「お金の学校」(坂口恭平 晶文社)
久しぶりに読んだ坂口節が、細井さんからもらった問い(というか違和感)に
合っていたので少し紹介します。
~~~
経済とはあらゆる流れの総体であって、一つの流れだけを指すのではありません。
今、人々は経済を一つの「お金の流れ」と断定してしまっています。しかし、実際はいろんな流れがあります。
もちろん、経済もまた自然のものです。だから植物みたいに、切っても、別のところから生えてきます。人間の合理性と植物の合理性はまったく違います。植物の合理性によるツルの生え方、伸び方は人間の合理性から捉えると矛盾そのものになります。植物は切られても平気です。むしろ喜んで伸びていきます。踏まれることも切られることも腐ることも全部喜びに変えちゃいます。そんなふうに合理性もまた自然界には無数に存在しています。経済もまた然りなのです。
重要なのは、自分が必要だと思うものを、楽しく流れを感じながら獲得することです。楽しくないところには、流れが発生しません。つまり、そこにはお金は生まれるかもしれないけど、経済は発生しません。
~~~
経済とは「流れ」である、と坂口さんは言います。
細井さんの本を真に受けて(誤読し)、行動(表現)すること。って、ここでいうところの「流れ」のような気がします。
オンラインツルハシの第1部で話した生物としてヒトっていうのにも通じてくるような気がします。
そこで、坂口さんから提案があります。
「企画書を書け」です。
お店をつくりたいと思ったら、
理想の場所はどこか?を考え、その場所の家賃がいくらか?を実際に不動産屋に行って問い合わせ、図面を書いてみる、ということ。お客さんの客単価はこれぐらいで、毎月の売り上げがこれくらいになるから、なんとかやっていけそうだな、と。
これ、いいじゃん。中学生高校生にめちゃめちゃオススメ。
「マイプロ」って結局こういうことなのではないか、って。
自分だけの企画書を書くっていうこと。企画書を完成させることではなく、企画書をつくっていくプロセスに学びがあるということ。
その企画書づくりは、「誤読」から始まるのではないか、っていうこと。
教科書やSDGsのような「正解」から始まらないのではないか、っていうこと。
いや、始まってもいいと思うけど、そこに楽しさや坂口さんの言うところの「流れ」があるか?っていうこと。
大切なのは、「誤読」する機会をたくさん持つこと。真に受けて、行動し始めること。
だから、本があり、地域の大人がいて、さまざまな課題がある。
それらは教科書と違い誤読を前提としている。「誤読」しかないんだ。
「誤読」して行動し、冗談で企画書を書く。それを繰り返す。
高校時代、大学時代にやることってそういうことなのではないか。
その入り口をつくっていくキケンな本屋を、僕はつくっていきたいのかもしれない。
安西先生、そんな本屋がしたいです。