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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2022年02月23日

「衝動」から始まる・・・


「問いかけの作法」(安斎勇樹 ディスカバートゥエンティワン)

新年度までの自分的課題図書です。
1章ずつ読んでいきます。
自分のためのメモですのでご理解ください。

きっかけはSHIBUYA QWSの話。
https://shibuya-qws.com/
ビジョンや目標ではなく、問いこそが未来を創造するのだと、僕も直感したので。

まずは第1章「チームの問題はなぜ起きるのか」より全体像をつかみます。

~~~ここからメモ

ファクトリー(工場)型におけるチームの意義:作業を効率的に分担すること

ワークショップ型における経営層の役割:現場と対話しながら「理念」を探究すること
ワークショップ(工房)型におけるチームの醍醐味:仕事の過程におけるコミュニケーション

「ワークショップ型」から「ファクトリー型」への図解はこちら
https://www.cultibase.jp/articles/8671

レヴィ=ストロース「野生の思考」
目標と計画を立てたところで、目標を達成するために特別に考案された道具を、調達できるとは限りません。現実的にはたまたま手元にあった道具を用いて「使えるかどうか」を試すしかないでしょう。このように道具を寄せ集めながらものを修繕していく未開人の仕事のスタイルを「ブリコラージュ」と呼び、これこそが人類にとって創造的かつ普遍的な思考法であると確信し、「野生の思考」として復権を試みたのです。同時にレヴィ=ストロースは、目標と計画に基づく近代合理的なものづくりの方法を「エンジニアリング」として対置させ、むしろ「エンジニアリング」のほうが、人類にとって不自然な、特殊なやり方であると強調したのです。

ファクトリー型からワークショップ型に切り替えていくということは、レヴィ=ストロースの言葉を借りれば、チームに「野生」の創造性を取り戻していくことなのかもしれません。
~~~

さらに、この前までテーマだった、「越境」や「創造」がなぜ起こらないか?を解説した1-2チームの問題はなぜ起きるのか?から

~~~
現代病1 判断の自動化による認識の固定化
例:過去にうまくいったやり方をやってしまうこと

現代病2 部分的な分業による、関係性の固定化
例:上司と部下がお互いを「わかったつもり」になってしまう

現代病3 逸脱の抑止による、衝動の枯渇
例:個性的なパフォーマンスをしようとするよりも、なるべくミスをしないようにすることに意識を向ける

現代病4 手段への没頭による、目的の形骸化
例なぜそれをやるのか、作業の目的が感じられなくなっていても、手段そのものを続けること自体に没頭することができる
~~~

いやあ、これは怖い。
これらを著者は人類の本能である、「環境適応」だと言います。
そしてこれらは教育の現場でもまさに起こっていることではないかと。

そして、1-3 ワークショップ型でチームのポテンシャルを発揮するへ
キーワードは「こだわり」と「とらわれ」

~~~
ワークショップ型のチームが「ポテンシャルが発揮されている状態」とは、チームにおいて「こだわり」を見つけて育てることと、「とらわれ」を疑い問い直すことの両方が、互いに循環しながら実現されている状態だとイメージしておくとよいでしょう。

「こだわり」を見つけて育てることとは、チームメンバーの一人ひとりの「衝動」を尊重して、それらをチームにとって意味のある「目的」に昇華させ、実現させていくことです。

「とらわれ」を問い直すこととは、凝り固まった「認識」や「関係性」に疑いをかけ、批判的に問い直しながら、新たな可能性を探っていくことです。

ワークショップ型のチームにおいては、一人ひとりのこだわりは、たとえどんなものであっても、「創造性の源泉」になります。

外部に正解の基準を求められないVUCAの時代において、ものづくりの指針は「自分たちの内側」に持たなくてはなりません。自分たちが「良い」と思える仕事を成すためには、自分たちが「良さ」の基準を持ち、そこに執着しなければなりません。それが他人にとって「些細なこと」であっても、それが「他の人と違うもの」を生み出す源泉になります。

ものづくりの観点だけではありません。一人ひとりが個性を大切にしながら成長していくことは、メンバーの人材育成の観点からも重要だといえます。

個人のこだわりは、内なる衝動と共に姿を現します。頼まれてもいないのについやってしまうこと。時間がないのについ時間をかけてしまうもの。そのような場面に、こだわりの芽が生まれます。ワークショップ型の組織が、メンバー一人ひとりの思いつきや「作りたい!」「これを試してみたい!」という実験的な衝動を大切にするのは、これが理由です。

そして、そこから見えてきたお互いの「こだわりの違い」を、チームを豊かにする「個性」として認め合い、対話を通して深くわかりあおうとすることが必要です。そうしたなかで、共通の核となる「チームとしてのこだわり」が育っていき、チームにとって「意味のある目的」へとなっていく。このようにして、個人とチームのこだわりを育て続けることが大切です。

同時に、チームにおける「とらわれ」を疑い続けることも必要です。

自分たちが共通の基盤としている「組織の理念」や「チームの目的」もまた、月日が経つにつれて、「とらわれ」になっているかもしれません。過去には、確かに衝動を感じていた理念や目的も、いつしか熱量が失われ、形骸化しているかもしれません。

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いやあ、いいですね。鋭く現実をついてきています。やっぱり最大の課題は「衝動」の枯渇なんじゃないかと強く思いました。
あらためて、本書の「現代病3 逸脱の抑止による、衝動の枯渇」について引用します

~~~
ファクトリー型においては、なるべくミスを犯さないように、設計図に忠実に仕事を進める必要がありました。

正解の基準を定められ、失敗に対するネガティブフィードバックを毎日のように受けていると、当然ながら、個性的なパフォーマンスをしようとするよりも、なるべくミスをしないようにすることに、意識を向けるようになっていきます。さらに伝統的な学校教育には、他の生徒と足並みを揃えさせる同調圧力をかける仕組みが満載です。

このような環境に適応する過程で、私たちは他の生徒と足並みを揃えて、なるべく集団の輪から外れないように、規範から逸脱する行為にブレーキをかけるようになっています。本能的な欲求にすらブレーキをかけてしまうところに、学校教育の成果が現れているのかもしれません。これが「逸脱の抑止」という環境適応です。

「逸脱の抑止」は、チームメンバーの内発的な動機を阻害する「衝動の枯渇」という現代病を生み出します。衝動とは、人の内側から湧き上がる欲求のことで、子どもの頃から誰しもが持っている本能的な感覚です。ところが、規範から逸脱することを恐れ、関係性が凝り固まったままでは、それが主体的な行動や発想のストッパーとして働き、本来あるはずの衝動に「蓋」がされた状態になります。
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「衝動」から始まる・・・
まさにそれだろうなと。
VUCAの時代に、価値を生み出していくチームの一員になるために、それが必要なんだ。
自分のこだわりの源泉である「衝動」の自覚とその発揮ができる場を必要としているのではないかと。
それが探究の授業や地域というフィールドで、高校生のときにできたらいいのだろうなと。

そのためには同学年に数百人いるような高校よりは、いい意味で「逸脱」が許される環境に身を置き、それを支えてくれる地域の人達がいる、みたいなことって大切だろうな、と。

プレゼンを聞いて、プロジェクトの「なぜ?」を問いかけたとき、聞きたいのは、社会的意義なんかじゃなくて、あなた自身の「衝動」なんだよね。「衝動」なきプロジェクトにはエンターテイメント性が少ない。「衝動」から始まる「発見」の物語を聞きたいんだよ。

「主体性」「協働性」「探究性」はひとまず本流の方に任せておいて、「衝動性」「越境性」「発見性」をキーワードにしたプロジェクト発表会したいなあ、ねえ、佐藤恒平さん。  

Posted by ニシダタクジ at 08:53Comments(0)学び日記