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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2021年12月13日

「目標達成」という前提に支配されない場をつくる

あさって水曜日は、月イチ開催の大学生との対話の場「にいがたイナカレッジ」プレゼンツの「とけだすラジオ」です。

全5回の2回目。
前回僕がしゃべりすぎてしまったので今回は井上さんとの対談形式にします。

ということで話すネタを整理していますが、
今回は、50代と20代のギャップについて、

「劣化するオッサン社会の処方箋」(山口周 光文社新書)
から取り上げていこうと思います。

昨日の昼間、風舟で「中動態の世界」とブログを読み直していて、
近代社会システムそのものが揺らいでいるのに、
「目標達成」を前提にいろいろなものが設計されていることが
いちばんつらいのではないかなと。
そしてそれは同時に「評価」に対しての違和感でもあるのだけど。

「評価される」ために、学んでいるわけではないはずなのに、
システムそのものが評価⇐目標達成⇐活動⇐目標設定
みたいに設計しているから、いつのまにかそれを身体化(内部化)してしまう。

「達成と成長」モデルから「発見と変容」モデルへ。それは、OSそのものを変化させることだ。
あるいは、「達成と成長」モデルを内包した「発見と変容」モデルを身につけること。

目標を達成した、しなかった結果、何を見つけたか?
やる前とやる後で、何か変化があったか?
と問い続けること。
それがもしかしたら大学生、もっと言えば高校生のうちに必要なんだ。

上記の「劣化するオッサン社会の処方箋」によれば、

参考:「30年の経験があります。」というウソ
http://hero.niiblo.jp/e489491.html

「わかるということは、それによって自分が変わることだ」(阿部勤也 元一橋大学学長)

同じ仕事を30年続けているという人は「30年の経験がある」と主張したがるかも知れませんが、脳神経科学の文脈で「経験」という言葉を厳密に用いれば、実際には「1年の経験から学び、あとは同じことを29年繰り返した」というべきです。なぜなら「経験」とは常に、新しい気づきへの契機をもたらすものだからです。同じような仕事を同じような仲間と同じようなやり方でやり続ける、というのは、「経験の多様性」を減殺させることになります。いろんな仕事を、いろんな人たちと、いろんなやり方でやったという「経験の多様性」が、良質な体験をもたらし、学習を駆動することになるのです。

「アマゾンは創業以来70以上の事業に新規参入していますがおよそ3分の1は失敗して撤退しています」チャレンジして失敗してその学びを次のチャレンジに活かす、というサイクルを高速で回しているからこそ、新規事業の成功確率をどんどん高めることができるのです。これは個人でも同様に言えることです。セカンドステージにおける失敗の経験が「どうすると失敗するのか」「失敗するときのポイントはなにか」という学びにつながり、これはチャレンジするときの心理的な抵抗感、つまり「失敗してしまうのではないか」という恐れを低減させる要素となります。
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これです。「同じことをひとすじに何年もやること」そのものに価値があるのではなく、やってみたことでふりかえり、新しい気づきを得て、次のプロジェクトへと進んでいくこと。

OSの転換。「発見と変容」モデルの体感。それを20代のうちに、いや10代のうちにできるかどうか。そのためには「目標達成」という前提に支配されない「場」が必要なのだと思う。

それは「学校」とは違う空間にならざるを得ないし、僕に言わせれば、それは「本屋」であり、「地域の生活の現場(営み)」である、ということになる。

評価のための手段として学ぶのではなく、社会と自分を知るために、その接点を考え、つくっていくために、人は学びたくなるはずだ。  

Posted by ニシダタクジ at 07:39Comments(0)学び日記