2023年08月27日
偶然から始まる「物語」を生きる
昨日は地域みらい留学合同説明会でした。最近は合同説明会の参加者がまったく集まらなくて、昨日も10名くらいは入ってきたけど、最終的には5名くらいになっていたようです。
合同説明会から高校別説明会にはつながらないので、ほぼ、自分の話をしていました。テーマは「挑戦するな、実験しよう」で、寮、風舟、公営塾を「実験室」と呼びました。ラストメッセージは、人生の転機となる「偶然」をキャッチできるできるように「実験しよう」でした。
他の高校を見ていて思ったのは、合同説明会で話すべきは、寮や町のスペック、高校生のリアルな声などではないのではないか。6分間で自分は何者でどこに向かっているのか、を話したほうがいいのでは、ということです。
「ヒト」を基準にしているから、首都圏じゃなくて、地域みらい留学するとしたら、その「ヒト」をまずは知ってもらうこと。それが高校探しのフックになっている、ということではないでしょうか。せめて1枚演者の自己紹介スライドを入れてほしいなと思います。
ということで、読書日記。

「偶然を生きる」(冲方丁 角川新書)
昨日の「偶然」つながりでこの本を。
~~~
経験の分類
1 直接的な経験:五感と時間感覚です。
2 間接的な経験:これは社会的な経験とも言えます
3 神話的な経験:超越的な経験であり、実証不能なものがほとんどです。
4 人工的な経験:物語を生み出す力の源です。
第四の経験(人工的な経験)はどのように生まれたのでしょうか。
ものごとを理解する手法として、人間はまず因果関係というものを認識しました。ものごとの順序の認識です。そしてそれと並行するように数字というものを発明していきました。さらには、文字を発明して、文章、段落というものをつくり上げていきました。
数の概念と段落の概念が組み合わさって別の技術が生まれました。それが「組み換え」です。複数の文章を並べて何番目と何番目を組み替えたとき、それによって違う意味が生まれることを知ったのです。
あるモノや考えが生まれて広まるとき、そこには必ず、それまでにはなかった架空の物語が存在し、その物語の力によってモノや考えが広まっていくのです。
人間に物語の力をもたらす第四の人工的な経験は、文章と密接な関係があります。そして文章を用いる限り、常に未来に向かってベクトルを放っているのです。
~~~
なるほど。まずは文章(物語)の力について。
文章を世界を変え得る。というより、世界を変えてきたのは物語の力だったのですね。
つぎに「報酬」について
~~~
報酬が動機付けとなり、人と社会を動かすのです。報酬は、偶然と必然というものを補強するための道具だとも言えます。これだけ働けばこれだけの報酬を得られるという保証(必然)のもと、個人の時間を第二の経験である社会の目盛りに捧げさせるのです。
社会を発達させていくためには第二の経験に自分を捧げなければならない。個人の経験を追求したいにもかかわらず、社会や他者のため、違う要求に応じて働かなければならなくなります。それがルーティンワークであったり重労働であればだれでも拒絶したいのですが、それを続けさせるのが報酬です。
労働の対価として報酬があり、その使い道を社会が用意します。ひと昔前の日本でいえば、マイホームには夢があるといって巨大な投資先を与え、ローンを組ませてしまう。そうなるともう報酬を得ていなければ成り立たなくなる状態になる。そのような国家的な施策はさまざまなかたちで繰り返されてきました。
~~~
なるほど。
それが「報酬」か。システムがどのように出来上がっていったのかよくわかります。
そして。ようやく来たサイコロとRPGの話を
~~~
RPG(ロールプレイングゲーム)は、サイコロが果たす要素を複雑化させていき、一定の確率で必ずクリアできるように調整しています。どのように調整しているかといえば、ある偶然性を何度も経験するたび、その偶然性が無視できる状態になるのです。つまりレベルが上がっていけば、弱い敵はどんどん倒せるようになっていきます。遭遇する困難と戦っていくうちに、困難が困難ではなくなっていくシステムが導入されたのです。
人間は、サイコロにリアリティを感じます。それを振ることによって、本当に起きているかのような感覚を抱きます。それは人間の原始的な認識の様式なのだと思います。偶然起こったものごとを自分自身の一部であると認識して受け入れる。
神秘体験に接するのと同じで、それが必然なのだと考えてしまう。シンクロニシティの中に自分はいるのだという世界との一体感に関わることです。
~~~
なるほど。
RPG(ロールプレイングゲーム)でいう「レベルが上がる」とは、弱い敵との勝負の偶然性が無視できる状態になる(必ず勝てる)ということ、か。
目の前に来たものを運命(偶然)だと感じること。
まさに自分自身の一部であると認識すること。
こういうことってあるだろうなと。
「挑戦」と「実験」をいったり来たりすること。
いや、本当は「挑戦」だって大きな「実験」の一部なのだと思います。「挑戦」に対して、単に「成功」や「失敗」で終わらせるのではなく、ふりかえりをして機会(偶然)に変えていくこと。
そういうことなのだろうなと。そして、高校生と一緒につくりたいものは、そういう「偶然」という機会からともに学ぶ、もっと言えば「ともにつくる」ことなのだろうと思います。
中学生たちへ、挑戦するな、実験しよう。
合同説明会から高校別説明会にはつながらないので、ほぼ、自分の話をしていました。テーマは「挑戦するな、実験しよう」で、寮、風舟、公営塾を「実験室」と呼びました。ラストメッセージは、人生の転機となる「偶然」をキャッチできるできるように「実験しよう」でした。
他の高校を見ていて思ったのは、合同説明会で話すべきは、寮や町のスペック、高校生のリアルな声などではないのではないか。6分間で自分は何者でどこに向かっているのか、を話したほうがいいのでは、ということです。
「ヒト」を基準にしているから、首都圏じゃなくて、地域みらい留学するとしたら、その「ヒト」をまずは知ってもらうこと。それが高校探しのフックになっている、ということではないでしょうか。せめて1枚演者の自己紹介スライドを入れてほしいなと思います。
ということで、読書日記。

「偶然を生きる」(冲方丁 角川新書)
昨日の「偶然」つながりでこの本を。
~~~
経験の分類
1 直接的な経験:五感と時間感覚です。
2 間接的な経験:これは社会的な経験とも言えます
3 神話的な経験:超越的な経験であり、実証不能なものがほとんどです。
4 人工的な経験:物語を生み出す力の源です。
第四の経験(人工的な経験)はどのように生まれたのでしょうか。
ものごとを理解する手法として、人間はまず因果関係というものを認識しました。ものごとの順序の認識です。そしてそれと並行するように数字というものを発明していきました。さらには、文字を発明して、文章、段落というものをつくり上げていきました。
数の概念と段落の概念が組み合わさって別の技術が生まれました。それが「組み換え」です。複数の文章を並べて何番目と何番目を組み替えたとき、それによって違う意味が生まれることを知ったのです。
あるモノや考えが生まれて広まるとき、そこには必ず、それまでにはなかった架空の物語が存在し、その物語の力によってモノや考えが広まっていくのです。
人間に物語の力をもたらす第四の人工的な経験は、文章と密接な関係があります。そして文章を用いる限り、常に未来に向かってベクトルを放っているのです。
~~~
なるほど。まずは文章(物語)の力について。
文章を世界を変え得る。というより、世界を変えてきたのは物語の力だったのですね。
つぎに「報酬」について
~~~
報酬が動機付けとなり、人と社会を動かすのです。報酬は、偶然と必然というものを補強するための道具だとも言えます。これだけ働けばこれだけの報酬を得られるという保証(必然)のもと、個人の時間を第二の経験である社会の目盛りに捧げさせるのです。
社会を発達させていくためには第二の経験に自分を捧げなければならない。個人の経験を追求したいにもかかわらず、社会や他者のため、違う要求に応じて働かなければならなくなります。それがルーティンワークであったり重労働であればだれでも拒絶したいのですが、それを続けさせるのが報酬です。
労働の対価として報酬があり、その使い道を社会が用意します。ひと昔前の日本でいえば、マイホームには夢があるといって巨大な投資先を与え、ローンを組ませてしまう。そうなるともう報酬を得ていなければ成り立たなくなる状態になる。そのような国家的な施策はさまざまなかたちで繰り返されてきました。
~~~
なるほど。
それが「報酬」か。システムがどのように出来上がっていったのかよくわかります。
そして。ようやく来たサイコロとRPGの話を
~~~
RPG(ロールプレイングゲーム)は、サイコロが果たす要素を複雑化させていき、一定の確率で必ずクリアできるように調整しています。どのように調整しているかといえば、ある偶然性を何度も経験するたび、その偶然性が無視できる状態になるのです。つまりレベルが上がっていけば、弱い敵はどんどん倒せるようになっていきます。遭遇する困難と戦っていくうちに、困難が困難ではなくなっていくシステムが導入されたのです。
人間は、サイコロにリアリティを感じます。それを振ることによって、本当に起きているかのような感覚を抱きます。それは人間の原始的な認識の様式なのだと思います。偶然起こったものごとを自分自身の一部であると認識して受け入れる。
神秘体験に接するのと同じで、それが必然なのだと考えてしまう。シンクロニシティの中に自分はいるのだという世界との一体感に関わることです。
~~~
なるほど。
RPG(ロールプレイングゲーム)でいう「レベルが上がる」とは、弱い敵との勝負の偶然性が無視できる状態になる(必ず勝てる)ということ、か。
目の前に来たものを運命(偶然)だと感じること。
まさに自分自身の一部であると認識すること。
こういうことってあるだろうなと。
「挑戦」と「実験」をいったり来たりすること。
いや、本当は「挑戦」だって大きな「実験」の一部なのだと思います。「挑戦」に対して、単に「成功」や「失敗」で終わらせるのではなく、ふりかえりをして機会(偶然)に変えていくこと。
そういうことなのだろうなと。そして、高校生と一緒につくりたいものは、そういう「偶然」という機会からともに学ぶ、もっと言えば「ともにつくる」ことなのだろうと思います。
中学生たちへ、挑戦するな、実験しよう。