2013年06月09日
商店街という豊かさ
「おいしくにしく」
掲載の原稿の転載です。
http://www.specialsite.city.niigata.jp/nishiku/relayessay/2013/06/post-68.html
~~~ここから
ツルハシブックスでは、「鶴酒場」という飲み会が不定期に開催される。
地元の日本酒を飲みながら、商店街で買ってくるおつまみを食べる。
魚屋さん、肉屋さん、豆腐屋さん、味噌屋さん、海産物加工品店、お菓子屋さんなど、
商店街にあるお店だけで、かなり豪華なおつまみと〆のスイーツが出揃う。
買い物に行くと、いつもの笑顔が待っている。そしてオススメやこだわりを教えてくれる。
炭火でじっくりと焼く焼き魚。栃尾揚げ並に大きくてジューシーなジャンボ油揚げ、絶妙な塩加減のいか丸干し。
「今日は飲み会?」
「そうなんです。何がいいですかね?」
「ヤリイカ塩辛作ったんだ。やわらかくて美味しいよ。」
「じゃあ、それにします。」
そんな会話がある買い物。
買い物とは、かつて、そのようなワクワクする体験だったんじゃないか。
商店街でコミュニケーションをとりながら、おかずを決める。そんな空間だったんじゃないか。
商店街という豊かさがあったんじゃないか。と強く思う。
それがいつのまにか、郊外の大型スーパーマーケットに主役交代させられていった。
そこにあるのは、新聞折り込み広告による「価格比較」とわずかな鮮度や質の違いだ。
私が育った千葉県袖ケ浦市も、まさにそういうところだった。
買い物とは、チラシで価格比較をして、行くスーパーを決めるものだと思っていた。
「買い物」の唯一の価値基準は、コストパフォーマンス(経済合理性)である。
それが本当に豊かなのか?と東日本大震災が突きつけた。
商店街という豊かさをもういちど取り戻すときが来ているのではないだろうか。
商店街はかつて、「コミュニケーション」の場だった。
「地域教育」の舞台だった。
そしてなにより、「経済の連鎖」の場所だった。
商店街の買い物が回りまわって、自分の豊かさにつながっていった。
2011年2012年と、大学生らが商店街を取材して、
「内野ひとがらMAP~内野日和」を作った。
みな、商店街の人たちと仲良くなって、行くたびにお菓子や漬物をもらってきていた。
大学生は商店街が好きになっていった。
平成生まれの大学生たちは、他世代とのコミュニケーションが苦手だと言われる。
それは単に機会がなかっただけではないかと思う。
大学生だけではない、高校生も中学生も、商店街をフィールドとした活動をすることは、
彼らにとって、視野が広がるよい機会となると思う。
「効率性」だけが価値ではないと彼らはなんとなく感じている。
商店街の中で、非効率の中にある豊かさを感じられる機会を得ることは、
彼らが人生を送る上で、大きな価値があるのではないだろうか。
そのような機会をこれからもつくっていきたい。
掲載の原稿の転載です。
http://www.specialsite.city.niigata.jp/nishiku/relayessay/2013/06/post-68.html
~~~ここから
ツルハシブックスでは、「鶴酒場」という飲み会が不定期に開催される。
地元の日本酒を飲みながら、商店街で買ってくるおつまみを食べる。
魚屋さん、肉屋さん、豆腐屋さん、味噌屋さん、海産物加工品店、お菓子屋さんなど、
商店街にあるお店だけで、かなり豪華なおつまみと〆のスイーツが出揃う。
買い物に行くと、いつもの笑顔が待っている。そしてオススメやこだわりを教えてくれる。
炭火でじっくりと焼く焼き魚。栃尾揚げ並に大きくてジューシーなジャンボ油揚げ、絶妙な塩加減のいか丸干し。
「今日は飲み会?」
「そうなんです。何がいいですかね?」
「ヤリイカ塩辛作ったんだ。やわらかくて美味しいよ。」
「じゃあ、それにします。」
そんな会話がある買い物。
買い物とは、かつて、そのようなワクワクする体験だったんじゃないか。
商店街でコミュニケーションをとりながら、おかずを決める。そんな空間だったんじゃないか。
商店街という豊かさがあったんじゃないか。と強く思う。
それがいつのまにか、郊外の大型スーパーマーケットに主役交代させられていった。
そこにあるのは、新聞折り込み広告による「価格比較」とわずかな鮮度や質の違いだ。
私が育った千葉県袖ケ浦市も、まさにそういうところだった。
買い物とは、チラシで価格比較をして、行くスーパーを決めるものだと思っていた。
「買い物」の唯一の価値基準は、コストパフォーマンス(経済合理性)である。
それが本当に豊かなのか?と東日本大震災が突きつけた。
商店街という豊かさをもういちど取り戻すときが来ているのではないだろうか。
商店街はかつて、「コミュニケーション」の場だった。
「地域教育」の舞台だった。
そしてなにより、「経済の連鎖」の場所だった。
商店街の買い物が回りまわって、自分の豊かさにつながっていった。
2011年2012年と、大学生らが商店街を取材して、
「内野ひとがらMAP~内野日和」を作った。
みな、商店街の人たちと仲良くなって、行くたびにお菓子や漬物をもらってきていた。
大学生は商店街が好きになっていった。
平成生まれの大学生たちは、他世代とのコミュニケーションが苦手だと言われる。
それは単に機会がなかっただけではないかと思う。
大学生だけではない、高校生も中学生も、商店街をフィールドとした活動をすることは、
彼らにとって、視野が広がるよい機会となると思う。
「効率性」だけが価値ではないと彼らはなんとなく感じている。
商店街の中で、非効率の中にある豊かさを感じられる機会を得ることは、
彼らが人生を送る上で、大きな価値があるのではないだろうか。
そのような機会をこれからもつくっていきたい。
Posted by ニシダタクジ at 05:17│Comments(0)
│日記
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