2016年01月07日
「本」というささやかな祈り
センジュ出版の吉満さんと未来トーク。
「本」観とか「本屋」観にとても共感。
2016年はふたりコラボで何かが起こる気がします。
簡単にまとめられないので、以下メモ
・まちをほかの人に編集されてていいのか?
・そこにある、目の前のものに責任を持つこと
・前のものを次世代に手渡すこと。誰に何を残していくのか?
・まちの人と対話しながらつくっていくもの。
・そういうことにも本は寄り添える。
・ブックカフェというメディア、というか「本」
・人生の主人公はあなた
・いつだってどんなときも、本はあなたの味方です。
・本という祈り、小さな存在。
・あなたに委ねるしかない。
・明日のあなたを変えたいという希望。
・人の人生にささやかに関わりたい。
・人間がパーフェクトであれば本は要らない。
・いびつな人間だから本が必要。
・そもそもパーフェクトであれば、生まれてくる必要がない。
・人間は無力だが、本も無力。
・二匹目のどじょうを狙う出版業界。それを買う読者。⇒人間らしい
・人間や本というチャーミングな存在。かわいい。
・死ぬときに、もっと効率的な人生があったんじゃないか?と後悔する人はいないだろう。
・本も本屋も人間的である。
・人間的であることは愛すべきこと。
・ワンピースの「ウソップ」という人間的なもの。
・人間は不完全な、チャーミングな存在だから本を買い、本をつくる。
~~~ここまでメモ
「本」とは、そして「本屋」とは?
あらためて考えさせられたし、ワクワクさせられた時間。
「人」も「本」も「教育」は無力、なのだろうと。
無力ということは、「なにものでもない」ということ
なのかもしれない。
「単体では」なにものでもない。
と言ったほうがいいか。
「本」はささやかな「祈り」にすぎない。
その本を読んだ人が、どう感じ、どう変わるか、
あるいは変わらないか、はその人に委ねられている。
これは、僕の本屋観や教育観に近い。
僕には「機会提供」しかできない。
地下古本コーナーHAKKUTSUで
本を買った中学生高校生がどうなるか?
取材でよく聞かれるのけど、うまく答えられない。
そこに目的はないし、興味もない。
寄贈されたを1冊売った瞬間に僕の役割は終わっているのだ。
「機会提供」するということ。
そういう意味では、
「本をつくる」ということも「本屋で本を売る」
ということも、機会提供、つまりささやかな祈りであると言えるだろう。
不完全で、だからこそチャーミングな存在である私たちが
「本」を通じて、「ささやかな祈り」を届ける。
きっとそれが本であり、本屋なのかもしれないな。
本、本屋についてあらためて考える機会となりました。
吉満さん、本当にありがとうございます。
2016年、よろしくお願いします。
「本」観とか「本屋」観にとても共感。
2016年はふたりコラボで何かが起こる気がします。
簡単にまとめられないので、以下メモ
・まちをほかの人に編集されてていいのか?
・そこにある、目の前のものに責任を持つこと
・前のものを次世代に手渡すこと。誰に何を残していくのか?
・まちの人と対話しながらつくっていくもの。
・そういうことにも本は寄り添える。
・ブックカフェというメディア、というか「本」
・人生の主人公はあなた
・いつだってどんなときも、本はあなたの味方です。
・本という祈り、小さな存在。
・あなたに委ねるしかない。
・明日のあなたを変えたいという希望。
・人の人生にささやかに関わりたい。
・人間がパーフェクトであれば本は要らない。
・いびつな人間だから本が必要。
・そもそもパーフェクトであれば、生まれてくる必要がない。
・人間は無力だが、本も無力。
・二匹目のどじょうを狙う出版業界。それを買う読者。⇒人間らしい
・人間や本というチャーミングな存在。かわいい。
・死ぬときに、もっと効率的な人生があったんじゃないか?と後悔する人はいないだろう。
・本も本屋も人間的である。
・人間的であることは愛すべきこと。
・ワンピースの「ウソップ」という人間的なもの。
・人間は不完全な、チャーミングな存在だから本を買い、本をつくる。
~~~ここまでメモ
「本」とは、そして「本屋」とは?
あらためて考えさせられたし、ワクワクさせられた時間。
「人」も「本」も「教育」は無力、なのだろうと。
無力ということは、「なにものでもない」ということ
なのかもしれない。
「単体では」なにものでもない。
と言ったほうがいいか。
「本」はささやかな「祈り」にすぎない。
その本を読んだ人が、どう感じ、どう変わるか、
あるいは変わらないか、はその人に委ねられている。
これは、僕の本屋観や教育観に近い。
僕には「機会提供」しかできない。
地下古本コーナーHAKKUTSUで
本を買った中学生高校生がどうなるか?
取材でよく聞かれるのけど、うまく答えられない。
そこに目的はないし、興味もない。
寄贈されたを1冊売った瞬間に僕の役割は終わっているのだ。
「機会提供」するということ。
そういう意味では、
「本をつくる」ということも「本屋で本を売る」
ということも、機会提供、つまりささやかな祈りであると言えるだろう。
不完全で、だからこそチャーミングな存在である私たちが
「本」を通じて、「ささやかな祈り」を届ける。
きっとそれが本であり、本屋なのかもしれないな。
本、本屋についてあらためて考える機会となりました。
吉満さん、本当にありがとうございます。
2016年、よろしくお願いします。
Posted by ニシダタクジ at 07:45│Comments(0)
│日記
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