2017年03月14日
世界という、わけのわからないワンダーランド

「自分の仕事を考える3日間」(西村佳哲 弘文堂)
以前に読んでいたはずなのだけど、
まったく色褪せない1冊。
今年の元日から続く、
西村佳哲キャンペーン。
今の自分に響くなあと。
あらためて「自分の仕事」ってなんだろう?
って考える。
この本もたくさんのエッセンスに
詰まっているのだけど、
特にシビれたのは、3番目に出てくる
秋田光彦さん。
浄土宗大蓮寺・慶典院住職。
情報誌の編集や映画プロデュースを経て住職へ。
実は僕も、新潟の浄土真宗のお寺の孫なので、
生まれた時から葬式は身近なものとしてあった。
お寺は葬式をするところ、
という常識が冒頭から揺さぶられる。
「お寺が葬式をするようになった歴史は、寛文4年(1664年)に
江戸時代が制定した檀家制度にさかのぼる。」
えっ。
そうなんだ。
江戸時代以前には、お寺で葬式してなかったんや。
わずか350年の歴史でしかないのか。
そして江戸幕府がそれを制定した理由が
キリスト教の禁制だったというから面白い。
~~~ここから一部引用
それからお寺は檀家の戸籍も管理する
幕府の出先機関となり、代償として
信徒の数と収入が安定した。
こうして仏事に依存する仏教の形が始まる。
そして200年後、
明治維新の流れの中で神道を国家統合の
柱に据えようとした政府は、
禁じられていた僧侶の肉食・妻帯を意図的に自由化。
世襲制度の一般化などを通じて、
僧侶を質的に破戒させ、人々の不満を募らせて、
人民の心を仏教から引き離そうと目論みる。
この動きは廃仏毀釈まで至った。
~~~ここまで一部引用
そうなんだ~。
お寺で葬式とかって誰かの仮説なんだな、と。
慶典院というお寺は小さな劇団による演劇や
市民たちによるワークショップが日々重ねられている。
檀家はなく、葬式をあげないお寺だ。
秋田さんは、現在の仏教に納得できず、
「こんなん辞めた」と国際NGOで活動し、タイに行く。
そこで、定住せずにさすらいながら、痩せた農地を開墾し、
学校をつくるといった、民のために尽くす
お坊さんの原点を見ることになり衝撃を受けて帰国。
そんなときに阪神淡路大震災が起こる。
お坊さんの格好をして歩いていたら
どこの寺だとか、どこの宗派だとか関係なく、
「うちの爺さんの供養をしてやれん。なんとかしてくれっ」
と声をかけられる。
それは秋田さんにとって人生の衝撃だった。
お寺の囲い込みをとったときに初めて、
「Who are you?」と問われた。
そこから秋田さんは
市民が知と情を編み出していく、
今の場をつくるに至る。
~~~ここからキーワード抜粋
今の都市や社会では、すべての場所にあらかじめ意味が付与されています。
その多くは効率や機能性の追求で、場の意味を自分で探したり、検証する機会がない。
場と関係はセットなんです。
「住職」っていうのは住むのが仕事
仏教に、正しい導きとか正解を期待する人がいるけど、それは難しいと思います。
仏教というのは、非常に大きな仮説を提示しているに過ぎない。
それを受け止めて、思考して、
実際の人生の中で答えを出そうと努力するのはあなたなんだ、ってことなんでよね。
あなたを差し置いて、お経を読んでもお坊さんに聞いても、どこにも答えはない。
あるのは、お前はどう思うんだっていう、この問い直しなんですよ。
そういうテレビ的なわかりやすさにいかに抗うかがテーマです。
問いというのはものすごく創造的な行為ですから。
わけがわからない、ということが大事なんです。
わかっていないから、一緒にわかっていこうというベクトルが生まれる。
わからないところから出発することで、
存在の尊さや、いのちの大きな豊かさにふれていくことができる、と。
「考える」とは、答えを得るというプロセスだけでなく、
「絶えず調節をしてゆく」こと。
そのためには「わからなさ」を手放さずに生きてゆく必要がある。
~~~ここまでキーワード抜粋
このあと、秋田さんの章は、
小学校高学年対象の
オーロラの学習教材をつくる話で締めくくられる。
そこで、小学校5年生~中学校3年生までに
「オーロラはなぜできると思いますか?」
という問いを投げかけると、
大半の小学生が自分なりの答えを書いてきたという。
「あれは夜の雲で、地球の反対側にまわった太陽の光を映している」とか
「暗くなると地面の中の鉱脈の光がもれて出てくるのだ」とか、いろいろな答えがでてくる。
ところが、中学生になると、
同じ問いに、「自然現象」の4文字で記入を済ませる子どもが
急増するのだという。
彼らの頭の中には、
自然現象というラベルの付いたフォルダがあり、
考えてもわからないことをそこにいれるようにしておけるようになるのだ。
それは処理能力の進化なのか、
それとも一種の思考停止なのだろうか。
その両方だと思う、と西村さんは言う。
「世界を、未だに知りもしなければわかってもいない、
初々しい状態にしつづけるには、知恵と精神的な体力がいる。」
そうそう。
でも、その状態のほうが、
生きるってもっと楽しくなるような気がする。
世界というワンダーランドを、
もっと楽しんでいこう。
Posted by ニシダタクジ at 08:18│Comments(0)
│本
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