2020年12月31日
異世界をつくり、呪いを解く
「オンライン劇場ツルハシブックス」振り返り。
5月にスタートした「オンライン劇場ツルハシブックス」。
3,4月に全国が一斉にコロナストップがかかったとき。
取り憑かれるように本を読んだり、ウィークリーオチアイを見たり、
歴史の転換点をいかに捉え、いかにアクションするかを考えていて。
「本屋だ」と直感した。
「オンライン上に本屋は創れる。」
そしてオンライン上で本を売ることができる、と考えた。
そしてそれには、身体性、具体的に言えば、圧倒的な身体的経験、具体的に言えば、
長崎・ひとやすみ書店という空間で本を選び、買い、コーヒーを飲む、という一連の体験が必要になってくる。
僕が当初感じていたZOOM会議のキーワードは「フラットさ」と「身体性」だった。
ZOOM画面上で人はフラットになる。
それは身体性のない2次元空間だから。
社長も、校長先生もひとつの画面に過ぎない。
しかし、その分、リアリティのなさをフォローするために
「身体性」をどのように補うかが重要になる。
もっとも簡単なのは、「食べ物トークをする」というもの。
「おいしそう~」っていう共感によって、ネット上でも距離を縮めることができる。
だから、オンライン劇場「ツルハシブックス」と名付けた。
「場」は「ツルハシブックス」という「身体性の共有」が必要だったからだ。
「劇場のような本屋、本屋のような劇場」
気がついたら私も本屋という舞台の共演者になっていました。
がテーマだったツルハシブックスは、ネット上にも再現できるというより、
アップデートされるのではないか、という直感だった。
5月、書道家のえみさん
6月、ZINEを創刊したさくらさん
7月、場をプロデュースする宮本さん
8月、3つのワラジで活躍する原さん
9月、音楽で表現するさえさん
10月、カフェという空間研究をする飯田さん
11月、軽やかな移住で町を動かす大庭さん
12月29日はスタッフふりかえりと来年度の企画を練るオンライン会議でした。
~~~オンラインツルハシをやってみてのメモ
・「好き」のエネルギーはネット上の空間を超えられる
・「とまれみよ」のような動的な屋号、在り方(こうありたい)を示す屋号
・「発見」=「問いを見つける力」
・「発見」するために「手触り感と違和感」に出会うこと
・仕事=「価値の交換」
・仕事をつくる⇒「仲間を見つける」「価値を共有」「価値を届ける」をぐるぐるすること。
・クラシック音楽も演奏者によってアップデートされ続ける
・「つづいていくもの」=営み=アップデートされ続ける
・カフェという階級を越えられるフラットな「場」
・何者でもない人が何者かに出会い、演じられるカフェ
・軽やかな移住
・20代の1年は重い。
・「一回性」と「シェア」と「神話」
~~~まあ、いろいろあるんだけどね。
そのあと、第2部、第3部と盛り上がりました。
キーワードは「適応」すること。
個人は「適応」しすぎるとその価値を(たとえば資本主義的価値観)内面化してしまう。
組織は適応し続けるためにアップデートし続けなければならない。だから、組織に適応しきっていない個人を組織に入れる必要がある。
完全なる共感からは新しいものは生まれない。「違和感」にこそ新しい1歩へのヒントがある。
「理解と共感に基づかないチーム」をつくり続けることができるか?
「一体感」なんてそもそも組織運営にとっては不要だと、20代以下は思っているんじゃないか?
それが上司部下のすれ違いの根本にあったとしたら・・・
理解と共感など無くても、協働できて成果だせれば、それでいいのでは?仕事だし。
みたいな感覚なのかもしれませんね。
「チューニング」っていうのは、他者理解のためではなく、あくまでも「チューニング」に過ぎないのだ。
それってプロの音楽に少し似ているのかも。
そんなことが繋がってきた。
「適応する」ってなんだろう?
アイリスオーヤマという企業がある
参考:
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59930
製造業でありながら工場の稼働率は65%前後と、
あえて3割の余裕を残しておくというのだ。
その理由は、「世の中が変わるから」。
今年、マスクを大量生産供給できたのも、そのおかげだ。
https://note.com/shunkonya/n/nd8081587fb07
3割の余裕。7割:3割。
それくらいのバランスが大切なのかもしれない。
「全力でやることが美しい」という価値観は本当だろうか?
変化に適応できるのだろうか?
「価値」が刻々と変化する時代において、変化対応力を持っておくこと。
副業をつくること。
70%-30%くらいのバランスで自分のリソースを振り分けておくこと。
もちろんそのパーセンテージは
個人の性格や人生ステージ、タイミングによるのだけど。
高校生活、大学生活で言えば、
70%を「達成・成長」のパラダイムへ
30%を「発見・変化」のパラダイムへ
と力を注いでいくこと。
僕たち地域の大人にできることは、「異世界をつくる」こと
「学びの意欲」は、「実践」と「学び」がつながったとき、重なった時に一気にスパークする。
参考:あなたは何芸人なのか?(19.11.9)
http://hero.niiblo.jp/e489978.html
そのためには「地域」が
「学校化社会」の価値観のままではダメなんだ。
坂口恭平さん的に言えば、「放課後社会」、
子どもたちにとって異なる価値観を持つ「異世界」であることが必要なのだ。
「異世界」であるからこそ、自分とは異なる、あるいは自分の一部である何者かを「演じられる」。
たぶん、それは、
「地域の向こう側」と「オンラインの向こう側」(それと本屋)をミックスさせた「場」であるのかもしれない。
理解も共感もできない異質な「他者」とプロジェクトを組み、
チューニング(音合わせ)しながら、ひとつの音楽のような作品のような(期間限定の)プロジェクトをつくること。
そうやって「呪い」を解くんだ。
「評価」という呪い
「同調圧力」という呪い
「達成・成長」という呪い
それが全てではなくて、もうひとつの世界があるんだ。
そして、それを自分の中で7割-3割のようにバランスさせていくこと。
高校2年の齋藤くんが問いかけた
#高校生は副業です
は、思ったよりも深いなと感じている2020年の年末です。

5月にスタートした「オンライン劇場ツルハシブックス」。
3,4月に全国が一斉にコロナストップがかかったとき。
取り憑かれるように本を読んだり、ウィークリーオチアイを見たり、
歴史の転換点をいかに捉え、いかにアクションするかを考えていて。
「本屋だ」と直感した。
「オンライン上に本屋は創れる。」
そしてオンライン上で本を売ることができる、と考えた。
そしてそれには、身体性、具体的に言えば、圧倒的な身体的経験、具体的に言えば、
長崎・ひとやすみ書店という空間で本を選び、買い、コーヒーを飲む、という一連の体験が必要になってくる。
僕が当初感じていたZOOM会議のキーワードは「フラットさ」と「身体性」だった。
ZOOM画面上で人はフラットになる。
それは身体性のない2次元空間だから。
社長も、校長先生もひとつの画面に過ぎない。
しかし、その分、リアリティのなさをフォローするために
「身体性」をどのように補うかが重要になる。
もっとも簡単なのは、「食べ物トークをする」というもの。
「おいしそう~」っていう共感によって、ネット上でも距離を縮めることができる。
だから、オンライン劇場「ツルハシブックス」と名付けた。
「場」は「ツルハシブックス」という「身体性の共有」が必要だったからだ。
「劇場のような本屋、本屋のような劇場」
気がついたら私も本屋という舞台の共演者になっていました。
がテーマだったツルハシブックスは、ネット上にも再現できるというより、
アップデートされるのではないか、という直感だった。
5月、書道家のえみさん
6月、ZINEを創刊したさくらさん
7月、場をプロデュースする宮本さん
8月、3つのワラジで活躍する原さん
9月、音楽で表現するさえさん
10月、カフェという空間研究をする飯田さん
11月、軽やかな移住で町を動かす大庭さん
12月29日はスタッフふりかえりと来年度の企画を練るオンライン会議でした。
~~~オンラインツルハシをやってみてのメモ
・「好き」のエネルギーはネット上の空間を超えられる
・「とまれみよ」のような動的な屋号、在り方(こうありたい)を示す屋号
・「発見」=「問いを見つける力」
・「発見」するために「手触り感と違和感」に出会うこと
・仕事=「価値の交換」
・仕事をつくる⇒「仲間を見つける」「価値を共有」「価値を届ける」をぐるぐるすること。
・クラシック音楽も演奏者によってアップデートされ続ける
・「つづいていくもの」=営み=アップデートされ続ける
・カフェという階級を越えられるフラットな「場」
・何者でもない人が何者かに出会い、演じられるカフェ
・軽やかな移住
・20代の1年は重い。
・「一回性」と「シェア」と「神話」
~~~まあ、いろいろあるんだけどね。
そのあと、第2部、第3部と盛り上がりました。
キーワードは「適応」すること。
個人は「適応」しすぎるとその価値を(たとえば資本主義的価値観)内面化してしまう。
組織は適応し続けるためにアップデートし続けなければならない。だから、組織に適応しきっていない個人を組織に入れる必要がある。
完全なる共感からは新しいものは生まれない。「違和感」にこそ新しい1歩へのヒントがある。
「理解と共感に基づかないチーム」をつくり続けることができるか?
「一体感」なんてそもそも組織運営にとっては不要だと、20代以下は思っているんじゃないか?
それが上司部下のすれ違いの根本にあったとしたら・・・
理解と共感など無くても、協働できて成果だせれば、それでいいのでは?仕事だし。
みたいな感覚なのかもしれませんね。
「チューニング」っていうのは、他者理解のためではなく、あくまでも「チューニング」に過ぎないのだ。
それってプロの音楽に少し似ているのかも。
そんなことが繋がってきた。
「適応する」ってなんだろう?
アイリスオーヤマという企業がある
参考:
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59930
製造業でありながら工場の稼働率は65%前後と、
あえて3割の余裕を残しておくというのだ。
その理由は、「世の中が変わるから」。
今年、マスクを大量生産供給できたのも、そのおかげだ。
https://note.com/shunkonya/n/nd8081587fb07
3割の余裕。7割:3割。
それくらいのバランスが大切なのかもしれない。
「全力でやることが美しい」という価値観は本当だろうか?
変化に適応できるのだろうか?
「価値」が刻々と変化する時代において、変化対応力を持っておくこと。
副業をつくること。
70%-30%くらいのバランスで自分のリソースを振り分けておくこと。
もちろんそのパーセンテージは
個人の性格や人生ステージ、タイミングによるのだけど。
高校生活、大学生活で言えば、
70%を「達成・成長」のパラダイムへ
30%を「発見・変化」のパラダイムへ
と力を注いでいくこと。
僕たち地域の大人にできることは、「異世界をつくる」こと
「学びの意欲」は、「実践」と「学び」がつながったとき、重なった時に一気にスパークする。
参考:あなたは何芸人なのか?(19.11.9)
http://hero.niiblo.jp/e489978.html
そのためには「地域」が
「学校化社会」の価値観のままではダメなんだ。
坂口恭平さん的に言えば、「放課後社会」、
子どもたちにとって異なる価値観を持つ「異世界」であることが必要なのだ。
「異世界」であるからこそ、自分とは異なる、あるいは自分の一部である何者かを「演じられる」。
たぶん、それは、
「地域の向こう側」と「オンラインの向こう側」(それと本屋)をミックスさせた「場」であるのかもしれない。
理解も共感もできない異質な「他者」とプロジェクトを組み、
チューニング(音合わせ)しながら、ひとつの音楽のような作品のような(期間限定の)プロジェクトをつくること。
そうやって「呪い」を解くんだ。
「評価」という呪い
「同調圧力」という呪い
「達成・成長」という呪い
それが全てではなくて、もうひとつの世界があるんだ。
そして、それを自分の中で7割-3割のようにバランスさせていくこと。
高校2年の齋藤くんが問いかけた
#高校生は副業です
は、思ったよりも深いなと感じている2020年の年末です。

Posted by ニシダタクジ at 06:33│Comments(0)
│日記
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