2021年07月10日
「自分軸」の見つけ方

「生命科学的思考」 (高橋祥子 ニューズピックス)
読み終わりました。今日は、
第3章 一度きりの人生をどう生きるか~個人への応用
から。
この前のオンラインツルハシブックスのテーマは「自分軸」
だったのですけど、それに対してのひとつのメッセージを。
以下メモ
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覚悟はまるでブロックチェーンのように、後からは改竄できない小さな約束を一つずつ刻んで未来へと繋がっていきます。それは誰にも改竄されないし奪うことのできないもの。覚悟とは、いつだって自由なものなのです。
もし「主観的な意志を持ちたいけどどうすればいいのかわからない」という人に向けて私がアドバイスするとしたら、「カオスな環境に身を置くべきだ」と伝えます。カオスは混沌という意味で、「秩序がなく、予測が不可能な環境」と表現できます。
カオスで予測不可能な環境に置かれると、「なぜ予測できない方向に向かってしまうのか」「なぜこんな理不尽な目にあわないといけないのか」「なぜ世の中はこうなっているのか」など疑問が生まれるようになります。
カオスであればあるほど疑問は生まれやすくなり、ひいては主観につながります。
「なぜ」という言葉から始まる疑問はとても重要だと私は考えています。5W1Hのうち、WHY以外の5つは客観的な視点から疑問が生じえます。一方「なぜ」から始まる疑問は、社会だけではなく自分の主観に紐づいています。
「なぜ」が発生した瞬間、その問いに対する思考に主観が生まれます。「なぜ」という疑問を設定することで、主観的な命題に気づくことができ、何を目指したいのか、そのために自分はどう行動すべきかという「自分軸」が発生します。
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「やりたいことがわからない」とか「自分の軸が見つからない」とかいう人たちへのメッセージとして、かなり実践的ですね。
そもそも「やりたいこと」を職業名で答えることはまったくのナンセンスなので外しますが、
「やりたいこと=主観的な意志」だとして、それを見つけるためにはカオスに身を置くこと。
つまり、学校的空間のような「秩序だった」ところからでは生まれないということです。
なぜ生まれないか?というと、
予測不可能な、理不尽な状況、つまり「違和感」が生じる状況に置かれることで、
ひとは「なぜ?」と考えるからです。
その「なぜ?」という問いこそが、主観的な意志につながる糸口になるからです。
「なぜ?」という問いはもちろんテレビやネット、本からでも得ることができるでしょう。
僕の仮説としては、おそらくはそこに身体性が必要なのかなと考えます。
頭だけでなく体と心が動かされること。
そこから「なぜ?」が生まれる必要があるのかなと思います。
このあと、この章にはニーチェの言葉
「過去が現在に影響を与えるように、未来も現在に影響を与える」(フリードリヒ・ニーチェ)
から、「情熱」についての解釈があります。
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未来差分の大きさと良い未来に向かって動き出す初速の掛け算、いわば積分量が情熱の源泉であると私は考えています。
意識高い系=未来差分の大きさは認識できているものの、動きださないため初速がゼロ
初速が出ていても、未来差分が認識できていない人は情熱が失われてルーティンになる
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さらに、「エントロピー増大則」の説明から、ほっておくと乱雑になってしまう宇宙の法則から生命である人間は逃れられないと説き、「人間は生きて身体を維持している間、生物はまったく変化せずに身体を維持しているわけではなく、常にエネルギーを摂取し細胞を入れ替えて、常に変化しながら結果として「変わっていないように見える」ようにしているのです。」と動的平衡を説明します。
「エントロピーは無限に増大しますが、その状態に秩序を与えるために要するエネルギーは人でも企業でも国でも有限であるため、そのエネルギーをどこに投入するかを意志を持って決めることが重要となります。」
これ、人も、組織も、まちも、全部そうなんだよね。
エントロピー増大の法則に抗うためのエネルギーをどこに使うか?っていう話。
「主観的な意志」、僕的に言えばベクトルをどこに持ってくるのか?
それこそが昨日の話である「自分を知る」ということで、
「自分軸」っていうのは、「なぜ?」という疑問詞から始まっていくし、
それを得るためには予測不可能な場(カオス)に身を置くことが必要なのだと。
「やりたいこと」とか「自分軸」とかってそうやって始まっていくよなあ、っていう話に納得。
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