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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2023年05月23日

作文指導による内面の操作

作文指導による内面の操作
「〈学級〉の歴史学-自明化された空間を疑う」(柳治男 講談社選書メチエ 2005年刊)

第五章 日本の学校はいかに機能したか
いよいよ我が国の話に入ってきました。
毎日書いてますけど、この本は目から鱗だらけです。

まずは前提確認から
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1 我が国の義務教育制度は、宗教団体による組織化の先行経験もないまま、突如国家が生徒の組織化を開始させねばならなかった。需要が存在しない中で、いわば分業化された教授活動が、いきなり日本社会の中に入り込むこととなった。

2 農村的秩序が解体し、都市を中心に産業革命が進行する過程で、学校が成立したのではなく、農村秩序の真っ只中で、学校を作り、学級制を定着させねばならなかった。産業革命の進行は義務教育制度施行よりもはるかに遅れ、また人々の移動も極度に少なく、大部分の人々は農民として村落共同体という伝統的集団の枠組みの中で生活していた。

3 日本は欧米諸国の制度をモデルとして輸入しなければならなかった。キリスト教的文化、とりわけプロテスタントの世俗内禁欲主義という宗教倫理の中で育まれてきた制度を、仏教や儒教、あるいはさまざまな民間信仰が大きな役割と果たしている日本の社会の中に定着させなければならない。当然、キリスト教の司牧関係は存在しようがなかった。

学校とは、伝統的農村秩序にとっては、明らかに社会的異物であった。例えば学校は欧米にならい、いち早く太陽暦を導入した。しかし、農業のリズムに合致した太陰暦(旧暦)のもとに生活を送っている人々にとって、太陽暦という季節を無視したリズムで動く学校とは、迷惑な存在であったであろう。このような伝統的、農村的性格を強く持つ日本において、この奇異な学校制度は開始されねばならなかったし、また学級制も導入される必要があったのである。
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いやあ。そんな社会状況で義務教育制度なんて導入できるのでしょうか。無理ゲーとしか思えません。
ところが先人たちは、その想像を絶する困難に関わらず、義務教育導入へと突き進みます。

まずやられたのは等級制という生徒編成方式の導入と、もっぱら個人に焦点をしぼった競争試験の強化だった。表面上の目的は、試験が持つ平等化期の機能に求められねばならない。幕藩体制を解体させ、新たな国民国家を実現していくためには教育はすべての人間に開かれていなければならなかった。

これは、イギリスの場合と同じく「競争」によって、学校そのものの魅力創出を狙ったのである。ところが試験は多くの落伍者を発生させる。そして等級制は学級制へと移行していく。

その規律化の方法として出てくるのが「起立」「礼」「着席」を代表とする軍隊式の身体の規律化であった。さらには運動会を典型とする学校行事でそれを強化した。

筆者は村落共同体の「こども組」と学級という集団を対比して次のように説明する
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明らかに子ども組は異年齢集団だったのであり、年長者を中心とする自治が行われていたのであった。これに対して「学級」とは有無を言わさずよその村落の見知らぬ同じ年齢の他人と強制的に一緒にさせられ、よそ者としての教師によって統制される、まったく異質な集団であった。
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そこで出てきたの「学級文化活動」である。それは「生活綴り方運動」と共に広がった運動であった。

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学校は、西洋文化に満ちたカプセルであるが、貧困な中にある生徒の日常生活は、新聞もラジオもない。この文化的落差を前提に貧しい生徒たちが持てない文化活動を学校で提供すれば、ことは十分である。本を整備し、新聞という文字メディアの世界へと誘い、歌や文集づくり、あるいは誕生会というハイカラな文化を教室に取り入れることは、生徒にとって大きな魅力となった。児童が夢中になってこれらの文化を教室に取り組むことが、さらに教師の実践意欲をかき立てた。「学級文化活動」とは、供給先行型組織としての学校が児童の学校への関心を引き起こすための自己準拠活動であった。

しかしこのことは、学級が分業制から逸脱したことを意味する。パッケージとしての「学級」が担う機能は、分業制の下では制限され、教師の活動にもまた制約が課されるはずである。しかし、このような自覚のないままに、多様な活動が「学級」内に導入された。それはいうまでもなく、当時の人々が機能限定的な集団の意味を理解しえなかったことを物語っている。

換言すればこのことは、「学級」が、あらゆる生活機能を包含した村落共同体の論理によって解釈されたことを示している。村落共同体が、生産機能、生活機能、政治機能、祭祀機能をすべて包含する重層的存在であると同様、「学級」もさまざまな活動が重層的に累積した集団となったのである。
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そして、学級を強化する方法として「競争」も機能するのである。

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「学級」は「競争する学級」として出現した。教師は多様な活動を導入し、常に他の「学級」、他の教師の活動を意識しつつ、自分の教室での活動の成果を高める努力をした。こうして他の「学級」への対抗意識を燃やすことによって、学級成員の結束は強化される。「学級」の共同体的性格はさらに強まり、その自己準拠機能もまた高まっていく。

しかしながら競争は、競争のための競争として、自己目的化する。当然、学級内での共同性の強化を目指した諸々の活動の導入も、自己目的化する。「学級文化活動」もまた、そのような動きの典型であった。目的を失い、競争意識に促された活動の導入は、その限界を知らない。そして「学級」はこのような多くの活動体験を共有する生活共同体、そして他「学級」との対抗意識を共有する、一種の感情共同体へと変容していく。
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いやあ、こうして日本の「学級王国」が出来上がっていくんですね。なるほどなと。
そして「生活綴り方運動」について。ここにも柳先生は手厳しい。

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生活綴り方運動は、キリスト教の告解の技術とは異なり、作文指導を通じた生徒の内面操作技術を広めた。共同体化した学級の中での共同作業の共有や、他の学級との対抗関係による一体意識の共有は、教師へのよそ者意識を生徒の中で薄めるように作用した。

我が国の村落共同体と密接な関係を持ちつつ浸透した宗教意識は、導く人と導かれる人との隔壁を設けず、共に苦難の道を歩むという「同行思想」にあった。この意識は、神の意志を代行する司祭と、迷える羊との間に形成される垂直的関係とは異なり、むしろ苦難を共通に抱え込んだ存在として、当事者同士を水平的関係に置く。

この濃厚な共同体関係の中に入り込んだ教師と生徒の間には、さらに教師による生徒の心の操作という、新たな技術が加わることとなった。強固な感情的一体性が築かれた中での作文教育が意味すること、それは教師による生徒の内面への介入を容易にしたということである。

「自分の生活」を書け。「自分の心に思い浮かぶこと」を書け。

「随意選題」というイデオロギー

「自分」「生活」「心」という言葉も、そのままで自明なものではありえない。逆に、そうしたものが「自明」であり「自然」であり、あたかも天賦のものとしてすべての人間にそなわっているという考え方こそ、きわめて近代的なイデオロギーであり、そうした自明のイデオロギーの強要の下で、生徒たちは「自分の生活」や「自分の心」というものを作文の中でせっせと作りあげねばならなかったのである。

濃密な共同体的関係の中で、よそ者の教師に対し武装解除された生徒が、自分の感じたことを書くという名目の下に、教師によって誘導された、あるいは教師の意志をくみ取った作文を書くようになっても不思議ではない。綴り方教育はこうして戦前から戦後にかけ、単なる作文指導としてではなく、生徒指導における巧みな技術として、わが国の教師たちに広く浸透していった。

教師は教室や運動場における日常行動の観察や、試験の成績などを通じて、生徒に関する情報を集めるのみならず、日記や作文という手法を使って学校外の生活をも十分に把握することができるようになった。それは、教師が生徒の内面だけではなく、家庭生活にまで入り込むきわめて特異な関係、すなわち日本的司牧関係の成立であった。

このような関係が強化されるに従い、教師・生徒関係を従業員対顧客関係として見る目は、完全に閉ざされてしまう。また、教育が組織による教育として展開していることを見る目もまた閉ざされ、教育は教師の全霊を傾けた活動として理解されることになる。そして「学級」は、機能集団としての機能を限定するのではなく、多様な活動を導入した生活共同体、あるいは感情共同体へと大きく変容させられたのである。

機能集団としての「学級」とは、子どもの生活の一部に過ぎない。しかし、「学級」が生活共同体化すると、それが子どもの生活のすべてとなる。放課後も、帰宅しても、そしてまた夏休み中も、電話やメールで同級生とのつながりがそのまま継続するという現代の風景の出発点が、このようにして作られた。
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「学級」という生活共同体・感情共同体をつくっていく。これが義務教育導入のための手法であった。そしてそのために「作文教育」があったとは。今まで、生活綴り方運動(教育)ってポジティブな意味で捉えていましたが、教師による生徒の掌握方法としての見方もあるってことなんですね。

というより、そこまでしないと義務教育というシステムは導入できないほど「不自然な」システムだったのだなと。

「学級」というフィクションは、教育の成否を教師の資質に委ねてしまう。
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個々の教師の努力に、教育の成果がすべてかかっていると主張することもできる。逆に失敗の原因を、組織にではなく教師個人に背負わせてしまうこともできる。
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そうなんですよね。「学級」というフィクションが自明化(当たり前化)するとどうなるか。〇〇先生のカリスマ性がクローズアップされ、ベストセラー作家となったり。「いい先生がウチの学校にはいないから」とか「担任がハズレ」だとか。そんな風に教育を捉えるようになった。

それにはこのような原因があったのである。
この章はこう締めくくられる。

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わが国において、学級が共同体的な感覚で受容され、そしてまた二項対立的な教育言説によって「良い教育」と「悪い教育」という論争が過熱してしまった結果、学校ができることとできないことの峻別がまったくなされなくなってしまった。教育論議は、国家対国民、民主教育対管理教育、自由放任主義対統制主義、画一主義対個性尊重教育、能力主義対平等主義、偏差値教育対ゆとり教育という二者択一的言葉の羅列に終始し、ひたすら「理想の教育」論が展開される。ハードウェアとして学校の特性なり限界なりを冷静に見る目は完全に閉ざされてしまった。
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二項対立って思考停止だなあと思う。問いのマジックでもあるし。聞く人の思考を停止させる効果もある。ORなんかじゃなく、仮説のひとつに過ぎないし、その間に無限のグラデーションが広がっている。

もっともっといろんな角度から考え、対話し、また考え続けなければならない。

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Posted by ニシダタクジ at 07:26│Comments(0)日記学び
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