2023年09月22日
「贈与」に気づく「ふりかえり」

「世界は贈与でできている」(近内悠太 ニューズピックスパブリッシング)
読み直しました。
タイムリーな1冊をありがとうございます。
この本の主題は
「贈与」とは何か?
なんですけど、
「学び」とは何か?「本屋」とは何か?について考えさせられます。
冒頭の
「従うべきマニュアルの存在しないこの現代社会を生きるためには、哲学というテクノロジーが必要なのです。」
ってところがまさに!
って思いました。
交換の原理によって覆われた社会で、僕たちはいかに生きるのか?
学ぶとは何か? なんのために「学ぶ」のか?
地域で行うプロジェクトの意味は?
「ふりかえり」で得るものは?
そんな問いに直面します。
キーワードはやっぱり「責任」と「存在」のような気がします。
~~~以下メモ
「自分ができること(CAN)」「自分がやりたいこと(WANT)」「自分が求められていること(社会が求めていること)NEED」の3つ目は、「自分がやらなければならない、と気づくこと(使命感)」から始まっていく。Responsibility(応答可能性⇒責任)っていうのはそこから始まる。
贈与は宛先に届かないかもしれない。あるいは受取人が受け取っていることに気づいてくれないかもしれない。
~~~
いっぱいメモあったのだけど、ひとまずは。
総合的な探究の時間のコンセプトで、「達成と成長」から「発見と変容」へって言っているけど「発見」されるのは「贈与」なのだろうね。それが「学ぶ」ということの意味なのだ、と。言葉を補うなら「贈与」を発見し、贈与する主体へと「変容」すること
たぶんそれが「ふりかえり」や「学び」の意味なのだろう。「機会」という不当に受け取ってしまった「贈与」に気づくこと。
「地域に貢献する人材」を育てる。
その「貢献する」っていうエネルギーはどこから駆動するのか?
それはやはり、「地域の良さを知る」なんかじゃなくて、被贈与者になること。「不当に受け取ってしまった」という自覚を持つことから始まるのだろうと思った。
それに気づく地域学習を設計できるだろうか。
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