2020年12月08日
向き合う問い、向き合わない問い
とあるオンライン勉強会に参加したのでメモを残す。
【高校改革の方向性】
外発・受動(管理指導、上意下達)⇒内発・主体(伴走支援、現場主体)
★スクールポリシーの設定、目標設定、PDCA、自己調整、ポリシーマネジメント
同調・横並び(みんな「普通」)⇒特色・魅力化(それぞれ多様)
★普通科弾力化
自前主義(すべて学校・教員で)⇒連携協働(社会とつながり共に)
★コーディネート機能、コンソーシアム
※これらは教室のありようと連動している、相似形になる。
スクールミッション⇒スクールポリシー⇒カリキュラム・マネジメント
・グラデュエ―ション・ポリシー
・カリキュラムポリシー
⇒アドミッションポリシー
地方創生の核としての高校魅力化
組織対組織と個人対個人をうまくバランスする
教育7:地域3くらいの意識で。
長期的には地域のためになる。
その後、コーディネーターの部屋へ。
地域と学校の協働をつなぐ立場としての難しさ。
「学校が地域と連携するには?」
っていう問いがいけないんだなと。
「向き合う問い」だから。
そもそも、どうして地域と一緒にやるんだっけ?
なんで地域と協働しないといけないのか?
という問いから始めないといけない。
愛するということは、
見つめ合うことではなく、
一緒に同じ方向を見つめることである。
ってサン・テクジュペリも言ってた。
だからやっぱり最初に問うべきは、
この学校の使命はなんだろう?
ですよね。
「スクール・ミッション」
問い=「切り口(テーマ)」×「使命(ミッション)」
だと昨年6月に書いている。(19.6.21)
http://hero.niiblo.jp/e489463.html
もうひとつ、内田樹さんの「最終講義」から(16.4.10)
http://hero.niiblo.jp/e478219.html
~~~ここから引用
出発点における否定的棲息状況ということが、あるいはミッションスクールの場合は最大の強みではないかという気がするのです。
教わりたいという人がいなくてもとりあえず教えたいという奇妙な旗を掲げるところから始まった。教わりたい人がいるから教えにきたのではない。教わりたい人を創り出すために教えに来たのである。
自分たちの旗印の下に集まってくる少女たちをひとりひとり見つけ出し、掘り起こしていかなければならない。それは市場のニーズに対応して教育プログラムを整備するといった今日の学校の作り方と全く逆のものです。
つまり、マーケットをほぼ完全に無視して、自分たちが教えたいことを基軸に学校を作ったわけです。神戸女学院の教育についてのニーズはまだ明治初年の日本には存在しない。ならばそのニーズを創り出さなければならない。
私たちがこの学校の最初の生徒であり、そうである以上、この学校が何のために存在するのかを身を以て証明するという責務を負っている。という、責務の感覚を自発的に抱かなければ、学校は立ちゆきません。
~~~ここまで引用
僕はこの本を読んで、「ミッション系大学」の意味を知った。
キリスト教系で、教会で鐘がなる大学のことではなく、文字通り、ミッション(使命)を帯びて、日本の地にやってきた人がつくった大学という意味。
偉大なる勘違いだよ、ミッション系大学。(称賛)
地域と共に
「この学校の使命はなんだろう?」と問いかけ、
言葉を紡ぎ、
「伝えたいことがあるんだ」
と小田和正バリに語りかける、そんな学校づくり、まちづくりを始めませんか。
【高校改革の方向性】
外発・受動(管理指導、上意下達)⇒内発・主体(伴走支援、現場主体)
★スクールポリシーの設定、目標設定、PDCA、自己調整、ポリシーマネジメント
同調・横並び(みんな「普通」)⇒特色・魅力化(それぞれ多様)
★普通科弾力化
自前主義(すべて学校・教員で)⇒連携協働(社会とつながり共に)
★コーディネート機能、コンソーシアム
※これらは教室のありようと連動している、相似形になる。
スクールミッション⇒スクールポリシー⇒カリキュラム・マネジメント
・グラデュエ―ション・ポリシー
・カリキュラムポリシー
⇒アドミッションポリシー
地方創生の核としての高校魅力化
組織対組織と個人対個人をうまくバランスする
教育7:地域3くらいの意識で。
長期的には地域のためになる。
その後、コーディネーターの部屋へ。
地域と学校の協働をつなぐ立場としての難しさ。
「学校が地域と連携するには?」
っていう問いがいけないんだなと。
「向き合う問い」だから。
そもそも、どうして地域と一緒にやるんだっけ?
なんで地域と協働しないといけないのか?
という問いから始めないといけない。
愛するということは、
見つめ合うことではなく、
一緒に同じ方向を見つめることである。
ってサン・テクジュペリも言ってた。
だからやっぱり最初に問うべきは、
この学校の使命はなんだろう?
ですよね。
「スクール・ミッション」
問い=「切り口(テーマ)」×「使命(ミッション)」
だと昨年6月に書いている。(19.6.21)
http://hero.niiblo.jp/e489463.html
もうひとつ、内田樹さんの「最終講義」から(16.4.10)
http://hero.niiblo.jp/e478219.html
~~~ここから引用
出発点における否定的棲息状況ということが、あるいはミッションスクールの場合は最大の強みではないかという気がするのです。
教わりたいという人がいなくてもとりあえず教えたいという奇妙な旗を掲げるところから始まった。教わりたい人がいるから教えにきたのではない。教わりたい人を創り出すために教えに来たのである。
自分たちの旗印の下に集まってくる少女たちをひとりひとり見つけ出し、掘り起こしていかなければならない。それは市場のニーズに対応して教育プログラムを整備するといった今日の学校の作り方と全く逆のものです。
つまり、マーケットをほぼ完全に無視して、自分たちが教えたいことを基軸に学校を作ったわけです。神戸女学院の教育についてのニーズはまだ明治初年の日本には存在しない。ならばそのニーズを創り出さなければならない。
私たちがこの学校の最初の生徒であり、そうである以上、この学校が何のために存在するのかを身を以て証明するという責務を負っている。という、責務の感覚を自発的に抱かなければ、学校は立ちゆきません。
~~~ここまで引用
僕はこの本を読んで、「ミッション系大学」の意味を知った。
キリスト教系で、教会で鐘がなる大学のことではなく、文字通り、ミッション(使命)を帯びて、日本の地にやってきた人がつくった大学という意味。
偉大なる勘違いだよ、ミッション系大学。(称賛)
地域と共に
「この学校の使命はなんだろう?」と問いかけ、
言葉を紡ぎ、
「伝えたいことがあるんだ」
と小田和正バリに語りかける、そんな学校づくり、まちづくりを始めませんか。
Posted by ニシダタクジ at 07:57│Comments(0)
│学び
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