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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2021年01月04日

いま、誰と出会えるかがそのまま会社の未来だ

2019年4月~6月のふりかえり。
4月はまだ本屋モードですね。

~~~ここから振り返り

堀江貴文「すべての教育は洗脳である」から

「僕は宗教にには何の興味もない。否定も肯定もしない。それによって幸せになれると思うのであれば、好きな神様を拝めばいいと思う。だけど、「常識」への信仰だけはおすすめしない。はっきり言って、幸せになれる確率が低すぎる。」

「学校」は、あるいは「就活」というシステムは、もしくは、「会社で働く」ということは、「常識」への適応を要求する。もちろんそれは、世の中を生きていくために、必要なことだろうと思う。

しかし、「常識」を「信仰」してはならない。本書にあるように、「学校」というシステムは、200年前に存在していないし、「工業社会」とセットで生み出された仕組みだった。「就活」について言えば、もっと短い期間でしかない。その「常識」に適応する、ということ。それは「適応」であって、正解ではないこと。

その後、内田樹「街場の共同体論」。
これ、すごく的確に、アイデンティティ危機の原因に迫っているのではないかと。
http://hero.niiblo.jp/e489105.html

経済成長のための最適解を求めた結果、最も合理的な政策は「家族解体」でした。消費活動を活性化するためには家族の絆がしっかりしていて、家族たちが連帯し、支えあっていては困る。だから、国策として家族解体が推し進められたのです。

労働の価値は、かつてはどのように有用なもの、価値あるものを作り出したかによって考量されました。バブル期以降はもうそうではありませんでした。その労働がどれほどの収入をもたらしたかによって、労働の価値は考量されることになった。そういうルールに変わったのです。

ですから、最もわずかな労働時間で巨額の収入をもたらすような労働形態が最も賢い働き方だということになる(例えば、金融商品の売買)。一方、額に汗して働き、使用価値の高い商品を生み出しても、高額の収入をもたらさない労働は社会的劣位に位置づけられました(例えば、農林水産業)。

そのようにして現代人の労働するモチベーションは、根元から傷つけられていった。

~~~ここまで引用

「労働者=消費者」を生み出していった国策。
これが日本型資本主義システムを形作ることに成功した。

そして、さらにこの本から、「弟子」について。

「あんたに言われるよりはるか前から、自分がどれくらいのものを知らないか、技が使えないか、誰よりも自分が知ってますよ。だから師匠に就いて学んでいるんじゃないか」という話です。

だから、「知らない」「できない」ということによるストレスがない。自分がその道の開祖とか、学派の学祖とかであったら、「知らない」や「できない」は許されません。

でも、違う。いくらでも間違えることができる。いくらでも失敗することが許される。この広々とした「負けしろ」が、弟子というポジションの最大の贈り物です。今の自分の知見や技術に「居着かない」でいられる。この開放性が、弟子であることの最大のメリットだと思います。

~~~ここまで

「自由」ってなんだろう?「オリジナリティー」ってなんだろう?って思った。

「自分は伝統の継承者であって、私の教えには何も新しいものはない。」この圧倒的な強さ。そして自由。そして何より、「弟子」なんて、勘違いや思い込みに過ぎないっていうこと。あの孔子でさえ、勝手に弟子を名乗っていただけなんだと。


そして苫野一徳さんの本「学校をつくり直す」
キーワードは「共同探究者」「探究支援者」になる、ということ。

「地域」には、宝物が眠っている。それは「探究」を駆動する何か、だ。

「地域の課題解決」が叫ばれているが、「解決」したいと心から思うのは、一般的「課題」じゃなくて、具体的な誰かが困っていることだ。それを解決することで楽しい未来が待っているようなこと。それに出会えること。それが「地域」の魅力だろうと思う。

「地域の人」や「地域の課題」に出会い、心が動くこと。「衝撃」や「共感」だったり、「何とかしたい」と思うこと。そこから「探究」が「学び」が駆動していく。そういう場所をつくりたいんだ。

~~~

「先生はえらい」(内田樹)につづく。

私たちが学ぶのは、万人向けの有用な知識や技術を習得するためではありません。自分がこの世界でただひとりのかけがえのない存在であるという事実を確認するために、私たちは学ぶのです。「この先生のこのすばらしさを知っているのは、あまたある弟子の中で私ひとりだ」という思い込みが弟子には絶対に必要です。それは恋愛において、恋人たちのかけがえのなさを伝えることばが「あなたの真の価値を理解しているのは、世界で私しかいない」であるのと同じです。「自分がいなければ、あなたの真価を理解する人はいなくなる」という前提から導かれるのは、次のことばです。だから私は生きなければならない。

この4つのフレーズから、「学ぶ」とは?から始まって、「生きる」とは?まで進んでいる。
なぜ、「学ぶ」のか?この問いを多くの人が持った2020年。ここに一つのヒントがあるように思います。

そして近畿大学を紹介した「なぜ関西のローカル大学「近大」が、志願者数日本一になったのか」(山下柚実 光文社)

「入学式は、新入生たちに全力で大学生活に取り組む決意をしてもらう、最大のチャンスなんです。その大切な瞬間を、私たちの思いを真心込めて伝えていく大切な時間にしたいんです。」

「不本意新入生」と大学がどう向き合うのかは、入学してくる学生に意欲や勇気を持ってもらう教育問題であると同時に、大学の経営問題でもあるのだ。入学式という一瞬の時間によって、「不本意新入生」の意識をいかに転換し、近大に入学して良かったと思える大学生に変えていくことができるのか。「よくぞ近大に入学してくれました」という感謝の思いを伝えることができれば、新入生は新たなるモチベーションを獲得し、大学はその結果として安定した授業料収入を確保できる。

近大は「パートナー」として大学生を見ているんだなと熱くなった。

★「成果目標」「行動目標」「意義目標」の関係性

そして、2019年6月。
まずは6月1日の柏崎変態ツアーから。
http://hero.niiblo.jp/e489377.html

テック長沢・長沢社長の一言
「いま、誰と出会えるかがそのまま会社の未来だ」

茂木さんの「探究」のレクチャーより

「学びの意欲の低下」ってホントなんだなと。そのインセンティブがないもんね。そもそも「インセンティブ」っていう考え方が学びの意欲の低下を引き起こしているけど。

「学びの主体性」を取り戻すこと。そこに尽きるのかもしれないな、と。そこには大人の「愛」や「探究」に直に触れること。そして人は地域の当事者になると同時に、学びの当事者になる、ということなのかもしれない。

自分を愛する前に、誰かや地域を愛すること、その前に誰かや地域の「愛」を体感すること。それが必要なのかもしれない。「愛」は言葉じゃなくて、波動というか、「波」だから。

~~~

石山アンジュさんの「シェアライフ」より
東洋思想では、「個人」という概念は存在せず、「自分は全体の中の一部であり、一部である自分が全体を構成する」と考える。

~~~

つまり、「チームひきだし」や「にいがたイナカレッジ」の1か月プログラムの最大の「価値」は、「価値」とは何か?を問う機会を得るということです。

経済社会においての最大の価値は、売り上げを上げること、伸ばすことです。しかし、売り上げを伸ばすためにがんばっていても、売り上げは上がり続けることはありません。売り上げの源泉は「価値」だからです。顧客に価値を提供できるからこそ、その商品、そのサービスは売り上げを伸ばし続けることができるのです。

かつて、その「価値」は長持ちしました。新商品の洗濯機を作れば、何万台、何十万台も売れ、長く売れ続けました。ところが、テクノロジーの発展など様々な要因によって、価値が長持ちしない、かつ多様になってきてしまいました。

「価値」そのものが流動している。だから、自ら「価値」を考え、生み出せる人になることが求められます。

~~~

「価値」を問う夏休みを提供しているのです。イナカレッジとひきだしは。

そしてラストは山口周さんの「劣化するオッサン社会の処方箋~なぜ一流は三流に牛耳られるのか?」(山口周 光文社新書)

「教養」の敗北。

「経験」「挑戦」「失敗」の意味が変わりますね。

同じ仕事を30年続けているという人は「30年の経験がある」と主張したがるかも知れませんが、脳神経科学の文脈で「経験」という言葉を厳密に用いれば、実際には「1年の経験から学び、あとは同じことを29年繰り返した」というべきです。

なぜなら「経験」とは常に、新しい気づきへの契機をもたらすものだからです。同じような仕事を同じような仲間と同じようなやり方でやり続ける、というのは、「経験の多様性」を減殺させることになります。いろんな仕事を、いろんな人たちと、いろんなやり方でやったという「経験の多様性」が、良質な体験をもたらし、学習を駆動することになるのです。

~~~ここまで

最後に泉谷さんの
「仕事なんか生きがいにするな」に出会っているんですね。

これはホント衝撃でした。

刺激に対する単なる反作用としての「能動」、あるいは外観は情熱のようでも、実は外力に動かされている「能動」は、いかに大げさな身振りをしても、基本的には受動である。(「人生と愛」エーリッヒ・フロム)

外見上いかに「能動」に見える活動的な行為であっても、それが内面的空虚さを紛らすために消費社会によって生み出された、外から注入された欲求で動いているものは、その内実は「受動」でしかないのだ、と言っているのです。

「社交的にいろんな人たちと交流する」「日々を有意義に過ごす」「自分が成長するように時間を大切に使う」といった学校レベルでは大いに奨励されそうな行動も、「空虚」からの逃避がその隠された動機なのだとすれば、これもやはり「受動」の一種に過ぎないと言えるでしょう。

将来どんな仕事に就くべきかといった「社会的自己実現」について苦悩することよりも、もう一つ深い層の「生きることの意味を求める」という実存的な飢えの方が若い世代にとってはむしろ切実な問題になってきているわけです。

~~~ここまで

実存的な飢え。まさにそれです。
アイデンティティ危機の根源。

あと1年半。ながいな、これは。
ラストは長沢社長の一言で。

「いま、誰と出会えるかがそのまま会社の未来だ」

もし、人生が経営だとしたら、
いま、誰と出会えるかがわが人生の未来、なのかもしれない。

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Posted by ニシダタクジ at 11:46│Comments(0)日記
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