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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2021年01月07日

学びの土壌に興味のタネを蒔く

2020年1月~3月ふりかえり。
いよいよ、2020年に入りました。
まだ新潟は「コロナ前」ですね。

1月1日はジュンク堂で買った5冊の本からスタート。
その中でも「編集思考」は特に、魅力化プロジェクトにも通じるものがある。

キーワードは「エンゲージ」。
これってコロナ後のもっとも問われているところなのだろうと。

食事とか医療とかではない生活に必要なものではないモノやサービスを売っている人(本屋もそう)
はますます「エンゲージ」が問われている。

サブスクリプションモデルに代表される「エンゲージ」ビジネス。
その「エンゲージ」には4つのポイントがあります。
コミュニケーション(communication)
コミュニティ(Community)
コンシステンシー(consistency)
カジュアル(casual)

「こう言うと、先ほどの「コンシステンシーの話と矛盾するのではないか」と思われるかもしれませんが、複数の顔を持つことと、一貫性を持つことは必ずしも矛盾しません。単に複数の顔があるだけであれば、それはできの悪い福笑いのようになってしまいます。分裂した人格になってしまい、不信感を高めてしまいます。しかし、一見すると多才で多彩なのだけど、通底するThought(思想)やTruth(真実)が感じられる。表面上のコンシステンシーではなく、思想レベルのコンシステンシーがあるという状態が理想なのです。逆に思想レベルのコンシステンシーがあれば、表出する顔は多様でもいいのです。人間と同様に、それぞれ異なるターゲットに、異なる受け入れ方をするのは、企業やブランドとしても自然です。

編集の4ステップの最初の「選ぶ」のところに出ていたセレクトの法則1「いいところだけを見て惚れ抜く」っていうところにも通じるけど。「編集思考」っていうのは、組織論やアイデンティティ構築についても使えるのではないかなと思った。もっと言えば、まちづくり、地域づくりについても、同じことが言えるのではないかと。

長く続くファンとの関係。いや、ファンというよりもパートナーと言えるような関係を気づけるかどうか。

10点満点ですべてが7点のヒトやモノやコトより、たとえ欠点があってもどこかが飛び抜けた素材を選ぶこと。他の人が気づいていない、本人すらも気づいていない「未開拓のいいところ」に気づけるとより価値は高まる。

佐々木さんは編集思考で大切なことは、完璧なものを見つけようとせずに、デコボコな個性をくっつけて、「組み合わせで完璧を創る」という発想に切り替えること。

これって高校生や大学生のアイデンティティの話にも通じていくよなあと。

「いいところだけ見て、惚れ抜く」ところから始まっていく。

~~~

そして、宮崎・飯野高校@グローカルリーダーズサミット
シンポジウム史上、もっともアツくなった校長挨拶。

http://hero.niiblo.jp/e490186.html

あなたの隣にいる「その人」は世界を変える人かもしれない。
「その人」はあなたかもしれない。
これ、最高っす。

子育て支援活動をするNOGIKUのプレゼンにも
「これ、NPO立ち上げとか社会起業塾のプレゼンじゃないか?」
って思うほどに衝撃的だった。

翌日の2日目には三重県の飯南高校美術部でラテアートをつくる佐々木くんに「一回性」の美学を学んだ。
「学び」はきっとアートに寄っていくのだろと思ったし、その最前線はバンクシーのような「一回性」を大切にするのだろうと。

~~~
にいがたイナカレッジの「トビラプロジェクト」報告会
http://hero.niiblo.jp/e490215.html

トビラプロジェクトの大学生に「まきどき村の目的は?」って聞かれて誰も答えられない。目的や目標を持って、どこかに向かっていくわけではないから。「存在価値」とか「有用性」ではなくて、ただ「営み」の中にある。それがまきどき村の価値なのだと。TANEMAKI2にも書いてあったけど、システムは自らを維持するため構成員に「有用であれ」そして「交換可能であれ」と迫る。それって、人の幸せのためにシステムがあるのではなく、システムを維持するために人があるのではないか?

「パッとする」っていうのは、例えばソトコトに掲載されたり、地域外の人がめっちゃ集まっていたり、商品の売り上げが上がっていたり、SNSのフォロワーがたくさんいたり。「数値化」されそうな何かがあること。
「パッとしない」っていうのは、分かりにくいっていうこと。考えてみれば、まきどき村の活動は、すごく曖昧だ。朝ごはんイベントと田んぼづくりと、日常とイベントが陸続きになっている。でも、「暮らし」ってそういうことだろう。

「参加」の度合いにグラデーションがあり、それを許容できること。遅刻歓迎、畑作業も朝ごはんも参加自由、農作業もそうだけど、手伝ってくれるととても助かる。そんなあいまいさ。それを「ゆるさ」と呼ぶのか。
「パッとしない」は分かりにくい、ということ。分かりにくい、っていうのは分けられないということ。お客さんとスタッフを分けないこと。「暮らし」とは、分けないことなのではないか。

~~~

そして高校魅力化の会議

問うべきは「どうすれば残ってくれるか?」じゃなくて「どんな人に残ってほしいか?」ではないか。

関係人口も同じだ。「どうやったら関係人口が増えるか?」っていう問いの前に、「その地域にはどんな関係人口が必要なのか?」「どんな人に関係人口になってもらいたいのか?」っていうのを決めないと。

そもそも「良さを伝える」って不可能じゃないか。価値観そのものが揺らいでいるのだから。良さは本人によって、見出してもらわないことには、「良さ」とはならない。

~~~

そして1月のラストは
面白法人カヤックの柳沢さんの講演@長岡

「面白法人」
1 まずは自分たちが面白がろう。
2 周囲からも面白い人と言われよう。
3 誰かの人生を面白くしよう。
「つくる人を増やす」という経営理念。

ブレストのルールは2つ。
1 仲間のアイデアに乗っかる。
2 とにかくたくさんのアイデアを出す。
「否定しない」よりもこの2つ。否定することで数が出せるとしたらそれはOK。効能は自分ごと化され、つくる人になる、面白がる人になる。

カマコン=ブレスト
1 アイデアプレゼン
2 ブレスト
3 発表
4 プロジェクト立案
5 実行
自分ゴト化させるにはブレストは最強。
アイデアを出す部活的な感覚。

あとはブログにも書いたけど
http://hero.niiblo.jp/e490259.html
伽藍とバザールの話はキャリアにおいて必須のような気がする。

~~~

糸魚川の久保田さんとの対話
「キャリア教育」はあまりにも「ワーク」に偏重している。
それに対して「探究」は「ライフ」全体の問題だと。

たしかにそうかもしれない。
「自らのあり方生き方と一体的で不可分の課題」を見つけるには、
暮らし全体を見つめる必要があるよね。

~~~

飛騨市の吉城高校発表会に参加。

「さわやかな敗北」

高校生にとって、自分の足りなさ、できなさに気づくこと。それは大きなモチベーションのスイッチになる。これをいつやれるのか?高校生の早い段階で、もっと言えば、中学生のうちでもいいから、やれたほうがいい。

同質性集団の中で比較によって敗北感を得るのでは無く、自分なりのミッションを持って実験・挑戦した後の敗北感を得ること。

「さわやかな敗北。」それを可能にするのは、地域というフィールドと地域の人という学びのパートナーと、ふりかえりのデザインだろうなと。

~~~

その帰りに長野県立図書館のトークイベントへ。

影山さんが言っていた。
「モモ」が増えていけばいい、と。他者を操作しようとしないこと。
評価でもアドバイスでもなく話を聞いてくれる存在と空間。

「あなたがモモになったらいいんじゃないですか?」

~~~

http://hero.niiblo.jp/e490297.html

からのマイプロ関東サミット
山梨のバッグづくりの高校生のプレゼンテーションに、
「自らのあり方生き方と一体的で不可分の課題」とはどういうことか、
感覚的にしった。

学習指導要領がいう、「自己の在り方生き方と一体的で不可分な課題」を見つけること。それは、「キャリア教育」と呼ばれる何かが言ってきた、やりたいことを見つける、とか、自分に向いている仕事を探す、とかいうことよりもはるかに重要なのだろう。その課題に出会うということ。そのために、地域や大人との「経験」が必要で他者や自分との「対話」が必要になる。

「自己の在り方生き方と一体的で不可分な課題」とは、「使命」のことだと思った。ひとりひとりにその「課題」があり「使命」があり、それをひとりの力ではなく、周りの力を借りながら、果たしていく、ということ、そのプロセスの中にこそ学びがある。

織物プロジェクトの高校生のプロジェクトは、こう締めくくらられた。スライドには「人に頼ってもいいんだ」の文字。

そしてコメント。
「お世話になった人への感謝を忘れずに、そして、人に頼ることを恐れずに、これからも進んでいきたい。」
「人に頼ることを恐れずに」か。いい言葉だな、と。

~~~

佐渡に渡り、宮崎先生に会いに行く
「私たち、嫌われているんです」から始まる、マイプロへのアプローチに熱くなった。

~~~

にしかんプロジェクトの説明会

「10年後に最高の形で、この学校(地域)があるとしたら?」

そこでは、日々、生徒はどんな日常を送っていて、どんな学びを得ているのだろう?
そして、どんな生徒を輩出しているだろう?
さらに、それを包む地域の人は、どんなアクションをしていて、どんな顔をしているだろうか?
どんな仕事、働き方をしているだろうか?
そんなゴールをつくっていくこと。

大切にしたいものを、自分たちで決めること。
その決定に参画したからこそ、自分たちが向かっていける。
「ローカルマニュフェスト」っていうのは、
「参画社会」のひとつのカタチなのだと思った。

~~~

2月のラストは山形・東北芸術工科大学のSCHシンポジウムへ。

まずは前夜祭の新潟から。
取釜さんの「圧倒的な勝手な使命感」アツかったなあ。

「未来に対する強烈な当事者意識」
「気づいた人がやらないといけない」
「コーディネーターはグレーなところに落ちたものを全部拾う」
これらは実は教員やコーディネーターだけではなく、高校生自身にも当てはまると思った。

~~~

山形・郁文堂書店でリノベーションの意味を確認。
http://hero.niiblo.jp/e490342.html

リノベーションとは、その土地や場所に息づく継ぎたい何か、をどのように継いでいくかの方法論として改築や新しく何かをつくることなんだって思った。郁文堂書店プロジェクトが継ぎたいもの、残したいものは「郁文堂サロン」と呼ばれていた文化だった。

~~~

そしてSCHシンポ本番。
小国高校の生徒たちの輝きに度肝を抜けれた。

あれが「ワークショップマインド」のチカラだ、と。
ファシリテート研修で学んだこと
・Yes,and・名前を呼ぶ・話の量を均等にする・自分から意見を出す

1 雰囲気づくり 2 やっている様子の観察 3 一緒にやってみる
安心・安全の土壌⇔対話の土壌「Yes,and」というコミュニケーションから。

「小国高校だからこそできる」
コンプレックスが誇りに変わる瞬間

~~~

2日目の長野県教委の内堀さんの講演が本質的だった

・自分の人生を生きる当事者として
・学校を共に創る当事者として
・社会の一員(市民)としての当事者として
・新しい社会を創り次の時代につなぐ当事者として
一人ひとりが新しい時代や社会を創造する力と意思を持つことが大事。

「他校との差別化をどう図っていくか?」
という問いにひたすら向かっていた僕は、ガツンとやられた。

そうじゃないだろ、もっと先を、未来を、そしてひとりひとりの生徒たちを見ろよ、と。
ごめんなさいって思った。

もっと先を、未来を見て、そこに向かっていくこと。
あらゆる周りの人たちと「対話」を重ねていくこと。
周りの人たちと協働し、未来をつくっていくこと。

いいものを見せてもらった。
残された時間はあまりないけど、ここから登っていくしかない。
まだ見えない雲の上に、さらに高い頂上があるのだろうけど。

~~~

そして柏崎「まちから」でのスクランブルエッグ登壇。
http://hero.niiblo.jp/e490381.html

「アイデア」はどこにあるのだろうか?

さっきの場のチカラ理論で言えば、「HOW」「WHAT」と「for whom」「WHY」のあいだにあるのではないか?と。

つまり、言語化以前と言語化以後。何をどうやるか、と、なぜ誰のために。

そのあいだにあるのではないか。

あるいは、一回性と再現性予測可能性と予測不可能性。美しさと楽しさ。
そのあいだにこそアイデアがあるのではないか?という仮説が生まれた。

「学校」を、そして「地域」を、ふたたびアイデンティティの構成要素、誇りの製造装置とする。
それには、部活などリーダーシップによる一体感と成功体験ではなく、個別のプロジェクトという場と、地域の人との関わりの中で生まれるふるさと感が重要なのではないか。

それを仮に伴奏型チームと呼んでみる。多ジャンルの音楽を生み出す伴奏型チームに複数属してみること。その繰り返しにより、人はミッション、つまりWHY、そしてfor whomに出会える。

高校生の探究活動の祭典「マイプロジェクトサミット」を見学して、「自己の在り方生き方と一体的で不可分な課題」という言葉の意味が分かった。

WHYに、そしてfor whomに出会えた人生は幸せな人生だと思う。じゃあ、それをどうやって見つけるのか?

実は、「自己の在り方生き方と一体的で不可分な課題」は最初から分かるのではなくて、共感とか違和感とか、そういう非言語領域を大切に抱え続けて行動することで、次第に見えてくるのではないか。そして、その課題こそが自己のアイデンティティとなる。

~~~

3月5-6日公営塾ネットワーク会議(オンライン開催)
と「小さなゆうびんせん」お披露目

~~~

そして、内田樹さんの「サル化する世界」も衝撃でしたね。

アクターのふるまいが絶えず変化すると、システムの制御がむずかしくなる。だから、システムの管理コストを最小化するために、人間たちは「成熟するな」という命令を下されている。知識や技能を量的に拡大するのは構わない、生産性を上げたり、効率的に働いたりすることは構わない。でも、自分に割り振られた「分際」から踏み出すことは許さない。ましてや別人になることは絶対に許さない。人をして「括目」せしめるような生き方をすることは許さない。

システムの効率的な管理が大切な仕事であることを僕はもちろん認めます。でも、システム管理の効率化を急ぐあまり、アクターである人間たちを同一的なままにとどめておくというのは長期的にはシステムの自殺行為ではないかという気がします。もし、国民が成熟を止め、変化を止め、どれほど時間を経過しても「括目して相待つ」必要がなくなったら、その国ではもういかなるイノベーションも、どのようなブレークスルーも起こらないからです。

おいおい。こわいな。いまの世界は「システム」に人が最適化しているんじゃないのか?

~~~

3月18日には「キャリア教育」の中教審答申を読んで衝撃を受ける。

「自分らしさ」は職業の中にあるのではなくて、問いの中にある。その問いを駆動させるのが機会で、その機会が、田舎という環境と対話の中にはたくさんある。それをたまに「地域の課題」と呼ぶこともある。

「問い」を駆動するのが「違和感」であり、学びにおいては「共感」よりもずっと大事で、共感を強制する同調圧力は学びの敵となる。いわゆる「安心・安全の土壌」とか、思ったことを言える関係性っていうのは、違和感をキャッチする上で極めて重要で、しかもそれは身体的なもの。

学びの報酬は、達成の瞬間(達成感)にあるのではなくて、機会から問いが生まれる瞬間(違和感⇒問い)にある。それはさらなる行動(つまり学び)を駆動してくれる。

~~~

そしてもういちど、カヤックの柳沢さんの「ブレスト」について
「否定しない」ルールは何なのか?を考えた。
「場に溶ける」っていうのはどういうことか?と。

通常、ブレスト(ブレーンストーミング:アイデアだし会議)や
ワークショップなどをを行う時に設定される4つのルール。

1 結論厳禁:否定しない
2 自由奔放:粗削りなアイデアを歓迎
3 質より量:量の重視
4 便乗歓迎:他人のアイデアに乗っかる

しかし。
会社において「ブレスト」を重要視する「面白法人カヤック」では
ルールは2つしかない

1 仲間のアイデアに乗っかる
2 とにかく数を出す

つまり、4つのルールのうち、最初の2つのルールはない。

いろいろと試した結果。
否定しないというルールにはあまり意味がないことがわかったのだという。
たしかに、「自由に考えて」って言われてもそれって前提だし、とは思う。
しかし、1 否定しないっていうのはかなり重要だと思っていたので衝撃だった。

さらに落合陽一さんの「近代的自我」っていう言葉への違和感と重なる。

~~~

そして3月末、ふたたび内田樹さんの「サル化する世界」

集団を存続させるためには、子どもたちに、ある年齢に達したら「生き延びるための知識と技術」を教え込む。それが教育です。教育する主体は集団なのです。そして、教育の受益者も集団なのです。集団が存続していくというしかたで集団が受益する。

(中略)

教育の受益者は子どもたち個人ではなく、共同体そのものです。共同体がこれからも継続して、人々が健康で文化的な生活ができるように、われわれは子どもを教育する。

(中略)

教育の主体は集団です。教育は集団で行うものであり、教育を受けるのは個人ですけれど、その個人の活動から受益するのは集団です。「ファカルティ(faculty)」というのは「教師団」という意味です。教育活動を行うのは「ファカルティー」であって、教員個人ではありません。

(中略)

「教師団」には、今この学校で一緒に働いている人々だけではなく、過去の教師たちも未来の教師たちも含まれている。そういう広々とした時間と空間の中で、教育活動は行われている。そして、そういうような時代を超えた集団的活動が可能なのは、教育事業の究極の目的が「われわれの共同体の存続」を目指すものだからです。

~~~

教育とはそもそも何か?から問う。
3月ラストは、「13歳からのアート思考」。

誰かに頼まれた「花」ばかりつくってはいないか?
「探究の根」を伸ばすことを途中で諦めていないか?
自分の内側にあったはずの「興味のタネ」を放置していないか?

アーティストに限らず、自らの「興味のタネ」から「探究の根」を伸ばすこと。
これって、これからの時代、みんなに必要なことなんだよね。
「共通の答え」なんて存在しなくて、
「自分なりの答え」「自分たちなりの答え」で生きていくしかないんですもん。

そういう意味では、学びの環境として、この町は最高だなと、僕は思うのです。

~~~

ここまで3月。
この後4月から、緊急事態宣言がなされ、取り憑かれたように本を読むようになります。

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Posted by ニシダタクジ at 11:39│Comments(0)学び
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