プロフィール
ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 37人
オーナーへメッセージ

2021年01月09日

「主体的にやる」と「機会提供」のあいだ

2年間ふりかえり。2020年6月。
休校が明け、怒涛の日々が始まる。

そんなスタートの日に読んだ伝説の講演録
「2020年6月30日にまたここで会おう~瀧本哲史伝説の東大講義」(瀧本哲史 星海者新書)

アツかったなあ。

「教養の役割とは、他の見方、考え方があり得ることを示すことである。」アラン・ブルーム

コロナ前後で何かシフトするのか、考えたこと。

学びの構造が「(目的・目標を設定し)手段として学ぶ」から「(展開・振り返り重視で)機会として学ぶ」へシフトする。

教育だけではなく、近代のパラダイム(価値観)のキーワードは「効率化」だった。「目的・目標を設定して、そこに最高速で行く」に価値があった。それは工業を中心とした社会だったからだ。ところが、そのゴールを失い、しかも「効率化」が価値を生まないことがわかってきた今。当然教育の現場のパラダイムもシフトせざるを得ない。

ところが「AO・推薦入試のために、探究を」って、まったく目的・目標設定のパラダイムではないか。そのほかにもシフトしているように思うこと。

「個人として学び」から「場としての学び」へのシフト。
方法(メソッド)から場へのシフト。
挑戦から実験へのシフト
達成感から予測不可能性へのシフト。
伝説のカリスマ教師から歌われざる英雄へのシフト。
明確なゴールから方向感・ベクトル感へのシフト。

そんなシフトが始まっている。いや、コロナ休校期間中にもうシフトは終わっていて、気づいていないだけかもしれない。

瀧本さんに言葉を借りれば、あなたが今だからこそやらなければいけない探究テーマが、きっとあるはずだ。

~~~
「あなたが今だからこそやらなければいけない探究テーマがきっとあるはずだ」
このメッセージは熱いな。
「自らのあり方生き方と一体的で不可分の問い」っていうだけではなく、そこに「現在性」つまり「今」っていうのを加えないといけないのかもな。

「なぜ、いま、あなたからこれを買わないといけないのか?」に応えられないとモノは売れないのだと本屋さん時代に痛切に思った。

これは「勉強」「学び」も「探究」「プロジェクト」も同じだ。なぜ今、自分はこれをこの場であなたから(場・プロジェクトから)学ばないといけないのか?
に応えられない「学び」はもう成立しない。
~~~

このタイミングで「サピエンス全史」なんか、読まなきゃいけないような気がしたんですよね。

ホモ・サピエンスがなぜ地上の覇者になったのか。激しい議論は今なお尽きないが、最も有力な答えは、その議論を可能にしているものにほかならない。すなわち、ホモ・サピエンスが世界を征服できたのは、何よりも、その比類なき言語のおかげではなかろうか。

集団の限界値である「150人」を超えるための虚構の登場。「膨大な数の見知らぬ人どうしも、共通の神話を信じることによって、首尾よく協力できるのだ。」

近代国家にせよ、中世の教会組織にせよ、古代の都市にせよ、太古の部族にせよ、人間の大規模な協力体制は何であれ、人々の集合的想像の中にのみ存在する共通の神話に根差している。

宇宙には神は一人もおらず、人類の共通の想像の中以外には、国民も、お金も、人権も、法律も、正義も存在しない。言葉を使って想像上の現実を生み出す能力のおかげで、大勢の見知らぬ人どうしが効果的に協力できるようになった。

~~~
ウィークリーオチアイでやっていた「sio」の話面白かったな。
「エンゲージメント」とは何か、考えさせれた。

HowやWhatではなく、Whyがあるかどうか?
レシピ公開:売るものさえ変えている。「価値」を届けること。

「機会」を「問い」に変換し、お客様を見ながら、Whyに立ち返り、「価値」を提供することに集中する。

お客様が欲しいのは、「価値」であって、「弁当」や「食事」そのものではない。

だからレシピは公開するし(お客さんのレシピを見て料理をつくっても1円の売り上げにもならないが価値は提供できる)、1000円の弁当も本気で作る。

~~~
これ、飲食店のリアルだなあと。「商品」ではなく「価値」を届け続けたら、お客とエンゲージメントできるんだなあと。先日の「合理性」の話にも通じるなあと。
サンクチュアリの営業の時も他社の本をよく紹介していたもんなあと。

そして、このタイミングで、夏休みのえぽっく「取材型インターンひきだし」をやるかどうか、っていう決断を迫られて会議をした。

http://hero.niiblo.jp/e490767.html

面白かったのは、「ひきだし」の価値を考えるほどに、「オンラインじゃ再現できないよね」っていうのが列挙されているところ。結局、検討の結果、完全オンライン実施をすることになるのだけど、この当時の葛藤がなつかしい。

1 学生側と企業側のフラットな関係性
・ミステリーツアー方式(選んでないし、選ばれていない)
・「目的多様性」と「身体性」を持つ「場」づくり
2 会社を「人」から知る
・雑談、雰囲気などから会社のリアルを知る。
3 共同生活がある
・合宿形式で、家事分担などから身体感覚を共有している(オフの時間がある)
4 企業を含め全員が参加者(当事者)である。
・同じ空間(場)を共有すること、問いに向かっていくことで、全員が当事者になっている。
・会社の魅力を引き出して冊子をつくる、とぃうゴールがある。

これがオンラインでできるのか?っていう問いじゃなくて、オンラインだからこそできることがあるか?っていう問いに転換した。

~~~

藤岡さんの話を聞いて、思ったこと

大学に入るのも、企業に入社するのも、「乗り物に乗る」ようなものだなあと。もしかすると、ワークショップのような一回性の高い「場」も、「乗り物に乗る」ようなもの、かもしれませんね。

試験は、乗り物に乗るチケットを手に入れるためのもの。あるいは、この人たちと一緒に乗ったら楽しいか?成長できるか?みたいなことを確かめるもの。そんな感覚で、大学入試にも就職活動にも向かっていけたらいいなと。

お互いにね。この人と一緒に船に乗れるのか?っていう。

~~~
で、オンラインツルハシで吉野さくらさんの登場。

「とまれみよ」という動的な屋号。「とまれみよ」は言葉だけど、動的であり。「言葉」と「身体」、「考える」と「感じる」のあいだにあり、動きを表している。スピノザ的に言えば、「コナトゥス」(こうありたいと働く力)のことだろう。動的な(動きを感じられる)屋号だということ。そういう意味では、僕の次の本屋のイメージは「風の通り道」なのだけど。そういう感じ。
~~~
2020年にインスピレーションのあった言葉のうちに大きかったのがこの「動的な屋号」っていう方法だろうなあと。

次。角田陽一郎さんの「13の未来地図」。よかったですね。
組織⇒バンド、イデオロギー⇒ユーモアへとシフトしていく、と言っています。

これからの仕事における個人と組織の形態はバンドなのではないか?
バンドメンバーは基本的に全員でステージに立ち「替えが効かない」のです。

ここで、素敵な一節を

「ロックバンドが気の合う仲間とともに音楽を奏でるように、あなたがやりたいプロジェクトのための自分のバンドを作るべきだと言っているわけです。」そういう「プロジェクトバンド」経験が就職に効くって言ってます。

ああ、それはあるなって。ボーカルだけじゃなくて、相手によってはギターもベースもドラムもできます。みたいなこともできるし。バンド名を考えたし、作曲も作詞もやったことあります、みたいなのは重宝されそうですよね。でもいちばん自分が好きなのはベースです、みたいな就活。

でも、そもそも、企業ってバンドなのか?みたいなところもあります。特に大企業では難しいかもしれません。「替わりがいること」が最優先されます。やりたい曲もなかなかやらせてもらえないかもしれません。それって、音楽性の違い、なんじゃないか?みたいな気もします。

取材型インターン「ひきだし」のオンラインミーティングで若松さんが「人を通して会社を知る」って言っていたけど、それってまさにバンド選びのようなものだなあと。ただ、もちろん、大オーケストラでしか奏でられない音楽もあって。そういう音楽を目指したい人は大企業にいったほうがいいかもしれない。

でも、音楽性の合う仲間と、バンド組みたいんだよ、みたいな人は、その音楽性を頼りに、会社を選んだらいいなと。

じゃあ、音楽性って何?みたいなときに、それって、ベクトル感だと思うんだよね。メンバーひとりひとりや全体から感じるベクトル感。そういうのを感じられる「就活」ってできないかなあと。

~~~
これ、読み直すとめちゃめちゃ深い。おもしろ。

さらに、「言葉にできるは武器になる」の梅田さんの本「企画者は3度たくらむ」より
http://hero.niiblo.jp/e490791.html

1つ目「ビジョンづくり」って「企画書づくり」だなあと。
ビジョンだけ示しても、現状認識と課題設定からくるプロセスの提示が必要なのだよね。
そのすべてに共感というか少なくとも同意がないと、ビジョンで終わってしまう

2つ目は、
そもそも「キャリア教育」ってなんだっけ?みたいな。
「全てのビジネスは、例外なく、誰かの課題を解決することで対価としての報酬を受け取るようにできている。」この原則から始めないといけないのではないだろうか。

だとしたら「やりたいことは何か?」よりもはるかに大切な問いは、困っている人はいないか?不便を感じていることはないか?それを解決するには?なのではないか。

3つ目の気づきは、アイデンティティの危機という課題に対してのアプローチのこと。僕が思うに、その筆頭は属するコミュニティを多様化・多層化してその掛け算として生きる、で、その階層1つ下に「地域の個性の構成員になること」があり、その場合、地域の個性は「編集」によって生み出すことができるし、周りの人たちと一緒に創ることもできる。

つまり、この本で言うところの「企画書づくり」(課題発見からの一連のプロセス)を通して、チーム(会社・地域)の個性を生み出すこともできるし、その構成員になることもできる。

ビジョンづくりは、企画書づくりへ。そしてそれは個人のアイデンティティをも創っていく。
いや、仮説ですけどね。課題とビジョンと、仮説と、打ち手。そのくりかえし。

~~~
「学ぶ環境」の豊かさっていうのは
・資源の豊かさ:くるみやの農作物などの自然資源
・課題の豊かさ:高齢化・猿による農作物被害などの課題
・関係性の豊かさ:地域の人たちが重層的に学びにかかわる。

~~~
そして地域探究系部活動で学んだこと

これまで僕は思っていたのは「主体的である」と「やらされる(主体的でない)」の二項対立。じゃあ、「機会提供」は「やらされる」なのかと言えば、そうでもないと思うし。「最初は先生に言われたので始めました」っていうのは、高校生のマイプロ発表聞いててもよく出てくる言葉だし。

高校生側の感じ方だったり、ひとりひとりに話を聞いているか、ひとりひとりに話しかけているか、だし。もっと大切なのは「ふりかえりをしているか」だったりかもしれないし、こちらが「機会提供」しているつもりでも、高校生は「やらされている」と思っているかもしれないし。その前提となる信頼関係があるかないか、にもよると思うし。

つまり。「主体的である」は「やらされる」と二項対立で考えるものではなく、高校生目線で言えば、「主体的である」と「機会提供」のあいだにグラデーションが広がっているのだと。

やりたいことがないと悩んでいる子の隣に座って、機会を提供する。その提供の仕方もあるよね。ただネタを提供してこちらは見ているだけっていうのは、やらされ感が出る。一緒にやってみる。考えてみる。悩んでみる。

それが大切なのだろうなと。

地域の自然も資源も課題も地域の大人も、自らも独自の楽器をもって学びという音楽づくりに参加する高校生にとっての「学びの伴奏者」であること。学びという営みのプレイヤーとして参加すること。
~~~

まさにこれ。総合型選抜で問われる「主体的に」活動したこと、をどうデザインするか?これはずっと大きな課題なのだろうなと思った。

同じカテゴリー(日記)の記事画像
「越境」して「異文化」と出会う
風とゆききし、雲からエネルギーをとれ
消滅可能性都市⇒コモンズ再生可能性都市
「存在」と「学び」の出発点としての被贈与
「自分」という共有財産
「やらされ感」の正体
同じカテゴリー(日記)の記事
 「越境」して「異文化」と出会う (2021-03-01 08:09)
 「自分らしさ」は、原因ではなく結果 (2021-02-22 06:53)
 風とゆききし、雲からエネルギーをとれ (2021-02-21 06:46)
 消滅可能性都市⇒コモンズ再生可能性都市 (2021-02-15 08:25)
 「学びの手段化」からの解放 (2021-02-10 08:26)
 「過程」としての学びと「手段」としての学び (2021-02-09 08:34)

Posted by ニシダタクジ at 08:32│Comments(0)日記学び足跡
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。