2021年06月27日
「委ねる」という愛
オンライン劇場ツルハシブックスでした。
ゲストは広島で読書会を主催する杉本さん。
オンラインツルハシの原点に返るような、素敵な会になりました。
「場」ってなんだっけ。
自分はどこに立っているんだっけ。
そんな問いが何度も来ました。
カッコイイ人=問いの質が高い人
っていうのも素敵な定義だなあと。
印象に残ったのは「課題の明確さ」みたいなのって
分かりやすいけど、なんていうかな、美しくないっていうか。
それって、「委ねる」部分の少なさ、なのかもしれない。
本屋の最大の魅力は、「委ねられること」だと思う。
http://hero.niiblo.jp/e488702.html
(本屋は「委ねる」 19.1.10)
「学び」という文脈でもそうだ。
A地点からB地点(目標・ゴール)まで直線的に向かうことを
サポートすることがいわゆる「教育」そのものだと定義されている。
あるいは、「自分を変えたい」とか今回のテーマである
「自分の軸を見つけたい」みたいな文脈で行くと、
経験を踏まえて自分が変わったり、自分の軸を見つけたりすること
が「学び」であるとする。
それって何か窮屈というか、美しくないんだよね。
人や人生を変えるような教育やプログラムはやりたくない。
やりたいとしたら、
「問い」が生まれるような本屋をやりたい。
プログラムを用意するのではなく、
環境を整え、機会をひたすら提供したい。
(プログラムが機会であったりするのだけど)
だから「場」なのだろうと思う。
誰とやるか。どこでやるか。いつやるか。
もっとそれをカラダで感じたい。
身体性を大切にしたい。
カラダとココロを「場に委ねる」。
それが愛するということなのではないか、と杉本さんは言う。
読書会をやっていて、
「いま、生きててよかった~」と思える瞬間がある。
本を読んでいて、
「よくぞ、このタイミングでこの本を」と思える本がある。
それは「委ねる」ことの後に、あるいは同時に
起こっていくのかもしれない。
「委ねる」の美しさ。身体性。愛すること。
そんなキーワードをもらった会になりました。
ゲストは広島で読書会を主催する杉本さん。
オンラインツルハシの原点に返るような、素敵な会になりました。
「場」ってなんだっけ。
自分はどこに立っているんだっけ。
そんな問いが何度も来ました。
カッコイイ人=問いの質が高い人
っていうのも素敵な定義だなあと。
印象に残ったのは「課題の明確さ」みたいなのって
分かりやすいけど、なんていうかな、美しくないっていうか。
それって、「委ねる」部分の少なさ、なのかもしれない。
本屋の最大の魅力は、「委ねられること」だと思う。
http://hero.niiblo.jp/e488702.html
(本屋は「委ねる」 19.1.10)
「学び」という文脈でもそうだ。
A地点からB地点(目標・ゴール)まで直線的に向かうことを
サポートすることがいわゆる「教育」そのものだと定義されている。
あるいは、「自分を変えたい」とか今回のテーマである
「自分の軸を見つけたい」みたいな文脈で行くと、
経験を踏まえて自分が変わったり、自分の軸を見つけたりすること
が「学び」であるとする。
それって何か窮屈というか、美しくないんだよね。
人や人生を変えるような教育やプログラムはやりたくない。
やりたいとしたら、
「問い」が生まれるような本屋をやりたい。
プログラムを用意するのではなく、
環境を整え、機会をひたすら提供したい。
(プログラムが機会であったりするのだけど)
だから「場」なのだろうと思う。
誰とやるか。どこでやるか。いつやるか。
もっとそれをカラダで感じたい。
身体性を大切にしたい。
カラダとココロを「場に委ねる」。
それが愛するということなのではないか、と杉本さんは言う。
読書会をやっていて、
「いま、生きててよかった~」と思える瞬間がある。
本を読んでいて、
「よくぞ、このタイミングでこの本を」と思える本がある。
それは「委ねる」ことの後に、あるいは同時に
起こっていくのかもしれない。
「委ねる」の美しさ。身体性。愛すること。
そんなキーワードをもらった会になりました。