2014年04月25日
複数のコミュニティを持つということ
「コミュニティ」が解決する。
うまく説明できないけど、そう確信したのは2002年だったかな。
不登校の中学校3年生と接してから、
「15歳に、学校の先生ではない大人に出会ってもらいたい」
だけをモチベーションにNPOを設立。
15歳が自分と自分の住んでいる地域を好きになり、
自分と地域と社会の未来創造へ歩き出している地域社会の実現
を理念にやってきた。
それがミッション。
思えば、
「ビジョン」っていうのを描いて来なかったんじゃないか。
そしてそれを一言で表現することをしてこなかったんじゃないか。
「孤独と不安のレッスン」とか「空気と世間」(ともに鴻上尚史)とか
「わかりあえないことから」(平田オリザ)とか
「認められたいの正体」(山竹伸二)とか「自分とは何か」(平野啓一郎)とか
を読むことによって、
その15歳から25歳くらいの若者の
(もちろん僕自身が15歳から25歳だったときの)
「生きづらさ」
が言語化されてきたような気がする。
そして。
社会人向けには、

「ナリワイをつくる」(伊藤洋志 東京書籍)
や

「人生が変わる2枚目の名刺」(柳内啓司 クロスメディアパブリッシング)
や

「LESS IS MORE」(本田直之 ダイヤモンド社)
といった本が、
「パラレルキャリア」や「デュアルライフ」の必要性を熱く語ってくれる。
経済社会的視点から見ると、
「パラレルキャリア」(複数の仕事を同時進行していくこと)
は避けられないだろうと思う。
そしてそれは、
「空気」と「世間」に書いてあるように、
「世間」との関係性の中での「個人」と「社会」の出現の必然でもある。
もはや守ってくれる「世間」が存在しない。
会社にも、地域社会にも。
それは子どもたちも同じで、
学校やクラスや部活動という「世間」はもはや自分を守ってくれないのである。
だとすると。
「2枚目の名刺」のような本業以外の活動は、
経済的にだけではなく、
精神的に非常に意義があるだろうと思われる。
だからこそ。
中学生・高校生・大学生は地域に出るべきだ。
そしてそこに学校とは異なる人間構成の
コミュニティを形成していくことだ。
それは部活動のような同質の集団では、
得られない「居心地」を手に入れるだろう。
もちろん。
それが簡単に得られるわけではないだろう。
なんらかの「貢献」が可能になるようになって初めて、
コミュニティの一員となれるのだ。
(それはもしかしたら「若い人がいるだけで明るくなるよ」と言われることかもしれないが)
そうした「複数のコミュニティ」を持つからこそ。
孤独に耐える力がつき、
学校や職場という「世間」につぶされずに、
他者や社会とのコミュニケーションを重ね、
承認欲求を少しずつ満たしながら、
分人の総合体としての自分を形成していくのだろう。
つまり。
「15歳が自分と自分の地域を好きになり、
自分と地域と社会の未来創造へ歩き出している地域社会」とは、
15歳から25歳くらいの若者が
学校や職場以外の複数のコミュニティに属し、
そこで、仲間とコラボしながら小さなアクションを起こしている状態が
日常化している地域社会、のことではないだろうか。
そんなプラットフォームを作りたかったのかもしれないなあと
今頃説明できるようになりました。
さあ。
あとはそれを一言で表現すること。
「2枚目の名刺」とか
すごくいいワンフレーズだなあと。
「第三の場所」とかもそうだけど、
数字が入っているとすごく具体的にイメージできるなあ。
いまのところ。
「共演者になれる本屋」
あたりかなあ。
まだまだ、明確じゃないなあ。
コピーライターなあなた、教えてください。
うまく説明できないけど、そう確信したのは2002年だったかな。
不登校の中学校3年生と接してから、
「15歳に、学校の先生ではない大人に出会ってもらいたい」
だけをモチベーションにNPOを設立。
15歳が自分と自分の住んでいる地域を好きになり、
自分と地域と社会の未来創造へ歩き出している地域社会の実現
を理念にやってきた。
それがミッション。
思えば、
「ビジョン」っていうのを描いて来なかったんじゃないか。
そしてそれを一言で表現することをしてこなかったんじゃないか。
「孤独と不安のレッスン」とか「空気と世間」(ともに鴻上尚史)とか
「わかりあえないことから」(平田オリザ)とか
「認められたいの正体」(山竹伸二)とか「自分とは何か」(平野啓一郎)とか
を読むことによって、
その15歳から25歳くらいの若者の
(もちろん僕自身が15歳から25歳だったときの)
「生きづらさ」
が言語化されてきたような気がする。
そして。
社会人向けには、

「ナリワイをつくる」(伊藤洋志 東京書籍)
や

「人生が変わる2枚目の名刺」(柳内啓司 クロスメディアパブリッシング)
や

「LESS IS MORE」(本田直之 ダイヤモンド社)
といった本が、
「パラレルキャリア」や「デュアルライフ」の必要性を熱く語ってくれる。
経済社会的視点から見ると、
「パラレルキャリア」(複数の仕事を同時進行していくこと)
は避けられないだろうと思う。
そしてそれは、
「空気」と「世間」に書いてあるように、
「世間」との関係性の中での「個人」と「社会」の出現の必然でもある。
もはや守ってくれる「世間」が存在しない。
会社にも、地域社会にも。
それは子どもたちも同じで、
学校やクラスや部活動という「世間」はもはや自分を守ってくれないのである。
だとすると。
「2枚目の名刺」のような本業以外の活動は、
経済的にだけではなく、
精神的に非常に意義があるだろうと思われる。
だからこそ。
中学生・高校生・大学生は地域に出るべきだ。
そしてそこに学校とは異なる人間構成の
コミュニティを形成していくことだ。
それは部活動のような同質の集団では、
得られない「居心地」を手に入れるだろう。
もちろん。
それが簡単に得られるわけではないだろう。
なんらかの「貢献」が可能になるようになって初めて、
コミュニティの一員となれるのだ。
(それはもしかしたら「若い人がいるだけで明るくなるよ」と言われることかもしれないが)
そうした「複数のコミュニティ」を持つからこそ。
孤独に耐える力がつき、
学校や職場という「世間」につぶされずに、
他者や社会とのコミュニケーションを重ね、
承認欲求を少しずつ満たしながら、
分人の総合体としての自分を形成していくのだろう。
つまり。
「15歳が自分と自分の地域を好きになり、
自分と地域と社会の未来創造へ歩き出している地域社会」とは、
15歳から25歳くらいの若者が
学校や職場以外の複数のコミュニティに属し、
そこで、仲間とコラボしながら小さなアクションを起こしている状態が
日常化している地域社会、のことではないだろうか。
そんなプラットフォームを作りたかったのかもしれないなあと
今頃説明できるようになりました。
さあ。
あとはそれを一言で表現すること。
「2枚目の名刺」とか
すごくいいワンフレーズだなあと。
「第三の場所」とかもそうだけど、
数字が入っているとすごく具体的にイメージできるなあ。
いまのところ。
「共演者になれる本屋」
あたりかなあ。
まだまだ、明確じゃないなあ。
コピーライターなあなた、教えてください。
Posted by ニシダタクジ at 06:13│Comments(0)
│思い
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