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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2015年05月12日

まちの本屋という機会提供装置

本屋で教育はできない。
教育目標を達成することができないからだ。

本屋でできること。
それは機会を提供することだけだ。

本を売ったその瞬間に、
本屋は役割を終える。

「機会を提供した」その瞬間が本屋の役割なのだ。

だから、
本屋には子どもたちを変えることはできない。

しかし。
だからこそ。
本屋は、多くの「教育者ではない大人」
が関わることができる現場になり得る。

もし、
子どもたちが必要としているものが、

「人生を変えた素晴らしい1人の教育者」ではなく、
「教育者ではない無数の大人たち」であるならば、
まちの本屋という役割と可能性は大きい。

機会提供にこそ価値があるのだと僕は思っているし、
機会提供を失わせるような大人たちの助言
(たとえば、それをやって何の役に立つんだ?など)は、
もっとも避けるべきだと思っている。

中学生高校生に、
失敗をしない「賢い大人」に本当になりたいのか?
と問いかけたい。

「機会」を活かし、動いてみること。
そこからしか、人生は始まらない。
と彼らに伝えたい。

まちの本屋という「機会提供装置」を
みんなで活かしていかないか。

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Posted by ニシダタクジ at 06:58│Comments(0)思い
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