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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2015年02月11日

志を果たしに、いつの日にか帰らん

岐阜大学シンポジウム
「地域にとけこむ大学」に参加。

教育、研究、地域貢献という3本の柱を
どのように配置し、組み合わせていくか?
これが各大学にかかっているのだなあと
あらためて感じた。

連携自治体から
地域コーディネーターとして
大学に4名が出向するなど、
非常に興味深い取り組みが見られた。

地域貢献の柱として
「ぎふフューチャーセンター」を実施。
その前段階として
授業で「フューチャーセンター入門」がある。

そして、行政や住民を含んだ形で
フューチャーセンターが開催される。

フューチャーセンターとは、
「多様な」人たちが集まり、
複雑化したテーマ(課題)について
「未来志向」「未来の価値の創造」といった視点から
議論する「対話の場」である。(昨日のプレゼンから)

これまで月に1回のペースで
「ぎふフューチャーセンター」が
開催されてきた。

その中での課題は
「多様な意見の確保」(つまり、多様な参加者)と
「参加者の満足度」が比例していないということ、

つまり、
多様な人を集めたとき、
「フューチャーセンター」になりにくい。ということ

これは、プレゼンターの方が言っていたが、
フューチャーセンターという概念の理解が
まだまだ浸透していないということだ。

「結局どうするだ?」
「もっとも詳しいやつに聞け」
などと答えを求めてしまうと、
フューチャーセンターそのものが成り立たなくなる。

前半部分で
フューチャーセンターのことを説明するのだが、
なかなかそれを体感することは難しい。

そうだろうなあと思う。

工業社会を生きているとき、
そこには唯一の正解があった。
その多くは「効率化」であっただろう。

もっとも効率的にやるには、どうしたらよいか?
という問いがビジネスを加速させた。

しかし。
いまは答えのない時代だ。
専門家は答えを持っていない。
経験者だからと言って過去の成功体験をもとに、
これからやるべきことを見通せるわけではない。

だからこそ、場のチカラで
そのための会議手法としてフューチャーセンターがあるのだ。

岐阜大学で取り組まれているフューチャーセンターの
「場」づくり=グランドルールは、

みんなが未来志向で創造するために
1 対等な立場で話します
2 他の人の意見を尊重し、否定しません
3 話しやすい場づくりを心がけます
4 当事者意識を持ち、リーダーのみに負担をかけません。

となっている。
文章で書くと簡単だが、
実際はかなり難しいだろう。

ひとつ、思ったのは、「対等な立場」を演出するのに
「本名ではないニックネーム」をつける
というのはあり得るだろうと思った。

子ども向けのキャンプをやる団体が
ほとんど必ずやっていることは
「キャンプネームを持つ」こと。

キャンプネームは呼びやすく、
その人が呼ばれたい名前で呼ばれる。

ニックネームを付けることで
子どもやチームメイトと
対等な関係性が作れるのだ。

これは会議にも使えると思った。

たとえば、
今日の会議のニックネームは
「ジョブズ」で行こうと決める。

そうすると、普段とは
違う発想で(ジョブズが乗り移ったように)
革新的アイデアが続々出てくる、ような気がするのだ。

呼び名が変わると、見える世界が変わる。
そこから発想する会議は、もしかしたらすごく
楽しいものになっているのかもしれない。

シンポジウムのラストを
連携自治体である郡上市長が締めた。

唱歌「ふるさと」の情景は、
まさに私たちの思うふるさとを描いている。

しかし、そのとき、
歌い手は「ふるさと」にはいないのだ。
地方から都会に出て行って、
田舎であるふるさとを想う。

そんな歌になっている。
この歌が教科書に載ったのは、1914年のこと。
すでに100年以上前だ。

つまり、100年以上前から、
「田舎を捨てて、都会に出て行って、ふるさとを想う」
という思想がだんだんとスタンダードになっていっていた
と想像できる。

郡上市長は言う。
第3番の歌詞を
志を果たして、いつの日にか帰らん
を、
志を果たし「に」、いつの日にか帰らん

に変えてほしいと前から思っていたそうだ。
すると、島根県隠岐にある島前高校では
何年も前からそのように歌っているのだという。

都会で志を果たして、故郷に錦を飾るのではなく、
志を果たすために都会の大学を卒業して、
あるいは、数年就職した後に
志を果たすために地方に帰ってくる。

そんな時代を願っているという。

地方国立大学が果たすべき役割は
そういうことなのだろうと思う。

東京で働く地方出身の人たち、
志を果たしに、いつの日にかと言わず、
なるべき早く帰ろうぜ。  

Posted by ニシダタクジ at 06:54Comments(0)言葉