2015年04月04日
平等主義が比較を呼ぶ

「わたしが死について語るなら」(山折哲雄 ポプラ社)
第4章 こどもたちを苦しめる「平等」と「個性」
~~~ここから一部引用
戦前は日本も階級社会であった。
戦後、アメリカから民主主義の考え方が
どっと入ってきて、
すべての人は平等である、と教えられるようになってきました。
いつのまにか、
平等ではないことに対する
激しい抵抗感が社会のいろいろなところに
いきわたるようになりました。
しかし、現実はどうでしょうか?
本当に平等だったのでしょうか。
気が付いてみるとわれわれは、
絶えず近くの人間と自分を比較するようになっていたのではありませんか。
つまりいつの間にか
比較地獄に陥って悩む人間になってしまったように思えてならないのです。
~~~ここまで一部引用
世の中は平等ではありません。
世の中が同じ物語を共有して
多くの人が高度経済成長の真っただ中に
いるときは、平等だという感覚を共有できたのかもしれませんが、
いまはそんな時代ではありません。
平等だ、という建前は
理不尽な不平等感を生みます。
この世の中の構造的な
不平等感を生む仕組みをなんとかしないと
若者の犯罪は減らないと山折さんは言います。
たしかにそうかもしれないなと思いました。
平等を信じ込んでいると、
比較が生まれ、
しかもその比較は他者評価によってなされるので、
そこに理不尽さが生まれ、
なにもかも壊したくなる。
そんなメカニズムは
なんとなくわかるような気がします。