2016年11月27日
空間の包容力
世の中から
「居場所」が無くなっているんだなと。
コミュニティの解体で
お祭りがなくなり、ひとり暮らしになり。
職場というコミュニティもドライになり。
「居場所」を必要としているのは、
中高生だけではない、ということ。
それが分かった。
しかし、それを
本屋+カフェ、そして駅前立地という
条件下では、
それを許容することができなかった。
他方、「まきどき村」は、
多くの人を許容、あるいは包容できる場であると
言えるのかもしれない。
小学校1年生から8年間ずっと不登校の中学生が、
毎週、始発に乗って、まきどき村にやってくるのは、
なんだったのだろう。
畑での農作業、囲炉裏、朝ごはん。
その空間の力。
もちろん、集まる人たちの力もあるのだろうが、
圧倒的な空間の包容力がある。
もしかしたら、次のためのステップなのかもしれない。
居場所を目指しているわけではないけれど、
ある程度許容できるような、
空間デザインが必要なのかもしれないと思った。
ツルハシブックス閉店という問い。
まだまだ、始まったばかりだ。
「居場所」が無くなっているんだなと。
コミュニティの解体で
お祭りがなくなり、ひとり暮らしになり。
職場というコミュニティもドライになり。
「居場所」を必要としているのは、
中高生だけではない、ということ。
それが分かった。
しかし、それを
本屋+カフェ、そして駅前立地という
条件下では、
それを許容することができなかった。
他方、「まきどき村」は、
多くの人を許容、あるいは包容できる場であると
言えるのかもしれない。
小学校1年生から8年間ずっと不登校の中学生が、
毎週、始発に乗って、まきどき村にやってくるのは、
なんだったのだろう。
畑での農作業、囲炉裏、朝ごはん。
その空間の力。
もちろん、集まる人たちの力もあるのだろうが、
圧倒的な空間の包容力がある。
もしかしたら、次のためのステップなのかもしれない。
居場所を目指しているわけではないけれど、
ある程度許容できるような、
空間デザインが必要なのかもしれないと思った。
ツルハシブックス閉店という問い。
まだまだ、始まったばかりだ。