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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2021年01月21日

「やらされ感」の正体


NHK100分で名著「カール・マルクス『資本論』」

第3回目のキーワードは「構想」と「実行」の分離。

ひとつ、謎が解けた。(仮説です)
「やらされ感」という感覚。

これ、「構想」と「実行」の分離のことを言っているのではないか、って。
自分が構想していないことで、かつ構想に同意できていないとき、いわゆる「やらされ感」という違和感を感じるとする。

それは、仕事でもそうかもしれないし、学校の授業でもそうかもしれない。

学校の授業で言えば、
「教科学習」と「探究(的な)学習」があるとする。

よくある話が「探究学習」だと言いながら、
「素材選択→課題設定→解決策の提示」
みたいな枠組みで取り組んでみること。

この場合、「構想」はあるだろうか。
鍵られた授業時間の中で、無理無理課題を設定させられ、解決策を提示させられる。
そもそもこの「課題解決型の学び」とやらにどんな意味があるんだ?
っていう問いに答えられないまま進む探究学習。

一方で教科学習も別に「構想」はしていない。
文部科学省が「構想」した教育課程に従って、
先生が授業を「実行」し、成績がつく。
しかし、こっちのほうが「構想」に対して、
多くの人が同意したであろうことはなんとなく想像がつく。

仕事もおそらくはそうだ。
番組の中でも取り上げられていたが、
いわゆる「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)」
に時間を費やしている人がいかに多いか。

その始まりは「構想」と「実行」の分離にあるのではないか。
それは「機械化」「分業化」によって、一気に進んだ。
資本家にとっての価値は「効率化」だったから。

労働者は切り離された。
ふるさとや生産手段からだけでなく、ついに、「仕事」からも。

つまり、たとえば職人がものづくりをするとき、
そこには「構想」と「実行」がセットで「仕事」をなしていたのに、
工場ではそれが「分離」され、労働者にはただ「実行」だけがある。

いわゆる仕事のモチベーションっていうのも、そこにあるのだろう。
「構想」づくりに参画できる働き方。
「構想」づくりに参加できる(意見・考えを述べられる)働き方。
「構想」づくりに参加はしていないが、「構想」に同意している働き方。
「構想」づくりに参加してなく、「構想」にも同意していない働き方。
「構想」がそもそもない、ただ「実行」している働き方。

大きい組織であればあるほど、
「構想」に「参画・参加」するのは難しいことであるだろうけど。
たぶん、これが「やらされ感」の正体だ。

「やらされ感」とは、する・されるの能動・受動のことではなくて、
「構想」していない、「構想」に参加していない、「構想」に同意していない場合の
「実行」のときに感じるもの、なのではないか。

昨日の「にいがたイナカレッジ」の話に戻るけど、
「にいがたイナカレッジ」ではチューニングによる「場のチカラ」を大切にしている。

7 どのように
6 何を
5 誰のために
4 なぜ
3 どこで
2 いつ
1 誰と

がプロジェクトの構成要素だとしたら、下から丁寧に積み上げていくのが「にいがたイナカレッジ」のプログラムだ。

もうひとつは、川喜田二郎さんが問いかける、それは「実行」「実践」ではなく、「執行」に過ぎないのではないか?という問い。
何が違うのか?そこに「判断」「決断」がないからである。「判断」することのなければ、実行、実践とは呼べず、単なる「執行」である。

参考:「判断の余白をつくる」(19.12.9)
http://hero.niiblo.jp/e490083.html

彼の言う「ひと仕事」は、
A探検 →B野外観察 →Cデータをして語らしめる→D評価・決断・構想計画→E具体策・手順化→F実施→G吟味検証→H結果を味わう
というW型で起こっていくのだと。

ああ、そうか。「仕事」にモチベーションが上がらないのは、F以降、むしろFのみのことしかやらせてもらってないからだ。
あ、それって「学習」も同じだ。学校の授業にはFしかないんだ。授業案もぜんぶ先生がつくっているから。

「構想」とは、川喜田さんの言うところで、A探検→D評価・決断・構想計画をやること。
にいがたイナカレッジで言えば、1誰と~3どこでをチューニングしながら、地域を観察し、地域の人と対話し、4なぜ~6何を をつくっていくこと。
たぶんそれだ。

「どんな仕事も楽しくなる3つの物語」(福島正伸・きこ書房)
の「人であふれた駐車場」の話にめっちゃ感動して涙をしたけども、
あれは単に「気持ちの持ちようで、どんな仕事も感動する仕事になる」っていう精神論ではなくて、
「構想」できる部分がある仕事を「構想」しようっていうことなのではないかなと。

「人であふれた駐車場」PVはこちらから(2008年)
http://www.youtube.com/watch?v=eJw-W2Ja1ho

「やらされ感」の正体は、「構想」を奪われたこと。

だとしたら
「場」を設計する(モチベーションの高い職場・モチベーションの高い(探究の)授業)ことのポイントは、

3「構想」に同意している。
2「構想」に参加している。
1「構想」に参画している。

という階段を登っていくことなのだろうと。
それは個人やチームでのプロジェクトにおいても同じだろう、と。

いや、もしかしたら、「進学」「就活」のその先の人生の「編集」においても、「構想」と「実行」を分離させないこと。あるいはこの視点を持ちながら労働者であること。

マルクスが150年前に、川喜田二郎氏が25年前に語っていたことがいま、目の前にある。
その問いにどう応えていこうか。  

Posted by ニシダタクジ at 07:12Comments(0)学び日記