2013年02月16日
匿名化された社会から脱出する
ひとりひとりはかけがえのない個人である。
という言葉には重みがない。
それが今の経済社会のシステムであり、学校社会の仕組みだ。
ひとりひとりは交換可能な部品である。
だから、非正規雇用が増える。
資格を取るということは、
「その資格を持っている人であれば、替わりはいる」
という世界にチャレンジすることを意味する。
この新書3冊に時代のいま、が詰まっている。

統合してくれたのは
坂口恭平「独立国家のつくりかた」だ。
「経済社会は、唯一の社会ではなく、ひとつの社会にすぎない。」
「匿名化された社会システムと戦わずに、自分でもうひとつの世界を創ればいい」
という強烈なメッセージ。
まさにその通りだと思った。
そして、昨日入荷した
「自分経営入門~問題はタコつぼではなく、タコだった!?」(友成真一)
これですよ。
企業に入るというのは、「自分を匿名化」することだった。
ニシダタクジというひとりの個人ではなく、
株式会社まるまるという看板を背負った個人となる。
そしてそこで優先されるのは
「組織(会社)の存続」、やそのための「会社の利益」である。
自分の良心とか道徳とかを
超えたところにそれは位置づけられるから、
(つまり、そのアイデンティティの方が上位概念であるから)
それによって、様々な食品偽装事件や不祥事と呼ばれる事件が
起こってきたのではないかと友成先生は言う。
タコつぼ化した会社や組織を脱出し、ひとりの(?)タコとして生きよ、
と言っているのだ。
そこで「非属の才能」だ。
世の中の多くの組織はタコつぼ化していて、
しかもそれは唯一の世界ではなく、「ひとつの世界にすぎない」
とすれば、
「そうではない世界」を手に入れること
が生きるためにいま、すべきことだ。
中学生であれば、「学校社会」のほかに「放課後社会」を持つこと、
しかもひとつではなく、無数に持つこと。
社会人であれば、
「経済社会」では、そこの世界で求められるように振る舞って、
「そうではない社会」を複合して、自分自身の世界を構築していくこと、
それこそが生きる力なのではないか。
不登校や働けない若者のソリューションはそこにあるのではないか。
1 「学校社会」や「経済社会」が唯一の世界ではないと実感すること
2 「放課後社会」や「趣味社会」など、そうではない社会を手に入れること。
3 それぞれの社会で求められる役割を演じられる自分になる、ということ。
おそらくは1がいちばん難しいと思うのだけど。
1の認識を形成していくためには、
田坂広志さんのいう「マネタリー経済」と「ボランタリー経済」の
狭間に事業を起こしていくこと。
おそらく「まちゼミ」はその最前線にある。
経済社会の端っこにいながら、
商店街は「匿名化」されていないからだ。
ひとりひとりの店主がかけがえのないひとりだと実感できるからだ。
ひとりひとりのお客がかけがえのないお客さんだと、愛することができるからだ。
見えてきた、未来社会のつくりかた。
ワクワクするぜ。
という言葉には重みがない。
それが今の経済社会のシステムであり、学校社会の仕組みだ。
ひとりひとりは交換可能な部品である。
だから、非正規雇用が増える。
資格を取るということは、
「その資格を持っている人であれば、替わりはいる」
という世界にチャレンジすることを意味する。
この新書3冊に時代のいま、が詰まっている。

統合してくれたのは
坂口恭平「独立国家のつくりかた」だ。
「経済社会は、唯一の社会ではなく、ひとつの社会にすぎない。」
「匿名化された社会システムと戦わずに、自分でもうひとつの世界を創ればいい」
という強烈なメッセージ。
まさにその通りだと思った。
そして、昨日入荷した
「自分経営入門~問題はタコつぼではなく、タコだった!?」(友成真一)
これですよ。
企業に入るというのは、「自分を匿名化」することだった。
ニシダタクジというひとりの個人ではなく、
株式会社まるまるという看板を背負った個人となる。
そしてそこで優先されるのは
「組織(会社)の存続」、やそのための「会社の利益」である。
自分の良心とか道徳とかを
超えたところにそれは位置づけられるから、
(つまり、そのアイデンティティの方が上位概念であるから)
それによって、様々な食品偽装事件や不祥事と呼ばれる事件が
起こってきたのではないかと友成先生は言う。
タコつぼ化した会社や組織を脱出し、ひとりの(?)タコとして生きよ、
と言っているのだ。
そこで「非属の才能」だ。
世の中の多くの組織はタコつぼ化していて、
しかもそれは唯一の世界ではなく、「ひとつの世界にすぎない」
とすれば、
「そうではない世界」を手に入れること
が生きるためにいま、すべきことだ。
中学生であれば、「学校社会」のほかに「放課後社会」を持つこと、
しかもひとつではなく、無数に持つこと。
社会人であれば、
「経済社会」では、そこの世界で求められるように振る舞って、
「そうではない社会」を複合して、自分自身の世界を構築していくこと、
それこそが生きる力なのではないか。
不登校や働けない若者のソリューションはそこにあるのではないか。
1 「学校社会」や「経済社会」が唯一の世界ではないと実感すること
2 「放課後社会」や「趣味社会」など、そうではない社会を手に入れること。
3 それぞれの社会で求められる役割を演じられる自分になる、ということ。
おそらくは1がいちばん難しいと思うのだけど。
1の認識を形成していくためには、
田坂広志さんのいう「マネタリー経済」と「ボランタリー経済」の
狭間に事業を起こしていくこと。
おそらく「まちゼミ」はその最前線にある。
経済社会の端っこにいながら、
商店街は「匿名化」されていないからだ。
ひとりひとりの店主がかけがえのないひとりだと実感できるからだ。
ひとりひとりのお客がかけがえのないお客さんだと、愛することができるからだ。
見えてきた、未来社会のつくりかた。
ワクワクするぜ。