2020年12月11日
はたらくくらすラボ説明用
にいがたイナカレッジ主催の「はたらくくらすラボ」の
1月のまとめの会に向けて、言語化を。
大学生の
「やりたいことがわからない」「自分に自信がない」問題とは何か?
どのようにとらえて、それをどのように乗り越えていけばいいのか。
結論:
「問い」と「悩みをクリアしている状態イメージ」と「アプローチ」を変える。
「やりたいことを見つけるには?」「自分に自信をつけるには?」ではなく、
まず「やりたいことがわからない」はなぜ苦しいのか?と問うこと。
それには、
社会的背景としてのキャリア教育とそれを支える学校(評価)システムがある。
個人的背景としては、「承認」欲求と、同質性集団による「比較」がある。
結果、アイデンティティ(自分らしさ)危機に陥り、
本人たちにとっては、生きるか死ぬか、まで深刻化する。
まずは、「承認」について理解すること。
承認には3段階あって、
1 親和的承認・・・ありのままの自分を承認される
2 集団的承認・・・集団としての役割を果たすことで承認される
3 一般的承認・・・社会的にいいことをして承認される
このうちベースとなる親和的承認は、
「存在の承認」とも言い換えることができる。
大げさに言えば、自分がこの社会に存在していていいのか、ということだ。
そして注意すべきは、その承認が本質的には他者から与えられるものではなく
自らが感じ取るものであるということだ。
なのでピラミッド的には、親和的承認(存在の承認)⇒集団的承認⇒一般的承認
となる。
本来、「親和的承認」に関しては家庭や地域で得られていたのかもしれない。
祝福に包まれて生まれてきて、父母だけではなく祖父母も無償の愛を注いでくれた。
あるいは地域の行事やお祭りなどで、地域の人から認識してもらえた。
ところが核家族化が進行し、地域とのつながりが希薄になった現在において、
「親和的承認」を感じる機会が圧倒的に減ってしまった。
しかしながら、人は「承認」を求める生き物なので、
「親和的承認」で得られない承認を別の方法で得ようとする。
それが集団的承認と一般的承認。
学校のクラスや部活動で、役割を果たしたり、
地域でボランティアをしたり、発展途上国に学校を建てたりする。
さらにそこに、学校(評価)システムが入り込んでくる。
学校は巧みに言葉を操り、
あなたの「承認」欲求は「評価」によって満たされるのだと、ささやき続ける。
先生から「評価」を求め、懸命に、5教科7科目を勉強した結果、
地元(あるいは地方の)国立大学への入学できることになる。
ところが、入学の瞬間に悲劇が起こる。
もう「評価者」はいないのだ。
どんなに勉強しても、どんなに授業で発言しても、
褒めてくれる人はいない。
大海原に放り出されたような孤独。
「評価」という方向性(ベクトル)を失った船は漂流する。
「やりたいことがわからない」「自分に自信がない」
の背景には、そういう「承認」の不安がある。
じゃあ、どうしたらいいのか。
1 「承認」欲求の自覚
2 環境を変え、「営み」の中に入る
3 ひとりひとりでなく「場」でアプローチする。
4 創造・発見を体感する。
5 いまいる「場」を中心にした「継承」「創造」を意識する。
たぶんそんな感じ。
まずは承認欲求に気づくことと、自分には存在の承認が足りないことを自覚すること。
次に「営み」。
環境を変えるというのは、ひとつには「同質性集団」から抜け出すということ。
同質性集団の中にいるとどうしても「比較」が起こるため、評価の呪縛から抜け出せない。
「にいがたイナカレッジ」の1か月間の暮らしは、「営み」の中に入るということ。
「営み」、それは人生よりも長く、つないできて、つないでいく何かのこと。その体感。
さらに「場」によるアプローチをすること。
「場」の定義は
1 誰と
2 いつ
3 どこで
~~~~~~
4 なぜ
5 誰のために
6 何を
7 どのように
上3つが狭義の場で7つ合わせて広義の場(プロジェクト)と定義する。
にいがたイナカレッジ1か月プログラムでは、
自己紹介・相互理解の時間を長くとってある。
また、3食を一緒に食べ、一緒に生活することで、
それぞれが「場」と一体化してくる。
その「場」を主体として意識し、プロジェクトを生んでいくこと。
そのプロジェクトも、始まる前にはきっちりと決まっておらず、
村の人たちとの対話や、3人の中での話し合いの結果、4~7を決めていく。
それは文字通り、「場」を主体としたプロジェクトとなる。
にいがたイナカレッジの中間研修で繰り返し伝えるのは、
「アウトプットをいいものにするのは場のチカラだ」ということ。
個人の足し算でも、チームの総合力でもなく、場のチカラであること。
こうして、「場」のチカラを高めることで、「創造」「発見」の瞬間を体感する。
大切なのは、問い(仮説)⇒実験⇒ふりかえり⇒創造・発見⇒新たな問い(仮説)
というサイクルの実感とふりかえりをエンターテイメント化すること。
「予測不可能性」をキーワードに、
予想しなかったよかったこと、悪かったことを「場」として振り返ること。
「予想しなかった悪かったこと」を単に反省点・改善点としないで、
それを楽しむこと。そこにもう一歩なぜ?を加えること。
それは「場」のチカラ=仕組みで解決できないかを考えること。
「場」を主体とした実践とサイクルを回すこと、
そして「ふりかえり」のエンターテイメント化による、
「創造」と「発見」の体感。
こうして、学校(評価)システムの呪縛を徐々に解いていくこと。
さらに言えば。
「継承者」である自分に気づくこと。(勘違いすること)
「創造」「発見」のエッジ(創造・発見がギリギリ生まれるか生まれないかのところ)に自分の「存在」を実感すること。
おそらくはこれが、アイデンティティ危機に対する、僕なりの解決策だし、
「にいがたイナカレッジ」1か月インターンの取り組みの価値なのではないだろうか。
1月のまとめの会に向けて、言語化を。
大学生の
「やりたいことがわからない」「自分に自信がない」問題とは何か?
どのようにとらえて、それをどのように乗り越えていけばいいのか。
結論:
「問い」と「悩みをクリアしている状態イメージ」と「アプローチ」を変える。
「やりたいことを見つけるには?」「自分に自信をつけるには?」ではなく、
まず「やりたいことがわからない」はなぜ苦しいのか?と問うこと。
それには、
社会的背景としてのキャリア教育とそれを支える学校(評価)システムがある。
個人的背景としては、「承認」欲求と、同質性集団による「比較」がある。
結果、アイデンティティ(自分らしさ)危機に陥り、
本人たちにとっては、生きるか死ぬか、まで深刻化する。
まずは、「承認」について理解すること。
承認には3段階あって、
1 親和的承認・・・ありのままの自分を承認される
2 集団的承認・・・集団としての役割を果たすことで承認される
3 一般的承認・・・社会的にいいことをして承認される
このうちベースとなる親和的承認は、
「存在の承認」とも言い換えることができる。
大げさに言えば、自分がこの社会に存在していていいのか、ということだ。
そして注意すべきは、その承認が本質的には他者から与えられるものではなく
自らが感じ取るものであるということだ。
なのでピラミッド的には、親和的承認(存在の承認)⇒集団的承認⇒一般的承認
となる。
本来、「親和的承認」に関しては家庭や地域で得られていたのかもしれない。
祝福に包まれて生まれてきて、父母だけではなく祖父母も無償の愛を注いでくれた。
あるいは地域の行事やお祭りなどで、地域の人から認識してもらえた。
ところが核家族化が進行し、地域とのつながりが希薄になった現在において、
「親和的承認」を感じる機会が圧倒的に減ってしまった。
しかしながら、人は「承認」を求める生き物なので、
「親和的承認」で得られない承認を別の方法で得ようとする。
それが集団的承認と一般的承認。
学校のクラスや部活動で、役割を果たしたり、
地域でボランティアをしたり、発展途上国に学校を建てたりする。
さらにそこに、学校(評価)システムが入り込んでくる。
学校は巧みに言葉を操り、
あなたの「承認」欲求は「評価」によって満たされるのだと、ささやき続ける。
先生から「評価」を求め、懸命に、5教科7科目を勉強した結果、
地元(あるいは地方の)国立大学への入学できることになる。
ところが、入学の瞬間に悲劇が起こる。
もう「評価者」はいないのだ。
どんなに勉強しても、どんなに授業で発言しても、
褒めてくれる人はいない。
大海原に放り出されたような孤独。
「評価」という方向性(ベクトル)を失った船は漂流する。
「やりたいことがわからない」「自分に自信がない」
の背景には、そういう「承認」の不安がある。
じゃあ、どうしたらいいのか。
1 「承認」欲求の自覚
2 環境を変え、「営み」の中に入る
3 ひとりひとりでなく「場」でアプローチする。
4 創造・発見を体感する。
5 いまいる「場」を中心にした「継承」「創造」を意識する。
たぶんそんな感じ。
まずは承認欲求に気づくことと、自分には存在の承認が足りないことを自覚すること。
次に「営み」。
環境を変えるというのは、ひとつには「同質性集団」から抜け出すということ。
同質性集団の中にいるとどうしても「比較」が起こるため、評価の呪縛から抜け出せない。
「にいがたイナカレッジ」の1か月間の暮らしは、「営み」の中に入るということ。
「営み」、それは人生よりも長く、つないできて、つないでいく何かのこと。その体感。
さらに「場」によるアプローチをすること。
「場」の定義は
1 誰と
2 いつ
3 どこで
~~~~~~
4 なぜ
5 誰のために
6 何を
7 どのように
上3つが狭義の場で7つ合わせて広義の場(プロジェクト)と定義する。
にいがたイナカレッジ1か月プログラムでは、
自己紹介・相互理解の時間を長くとってある。
また、3食を一緒に食べ、一緒に生活することで、
それぞれが「場」と一体化してくる。
その「場」を主体として意識し、プロジェクトを生んでいくこと。
そのプロジェクトも、始まる前にはきっちりと決まっておらず、
村の人たちとの対話や、3人の中での話し合いの結果、4~7を決めていく。
それは文字通り、「場」を主体としたプロジェクトとなる。
にいがたイナカレッジの中間研修で繰り返し伝えるのは、
「アウトプットをいいものにするのは場のチカラだ」ということ。
個人の足し算でも、チームの総合力でもなく、場のチカラであること。
こうして、「場」のチカラを高めることで、「創造」「発見」の瞬間を体感する。
大切なのは、問い(仮説)⇒実験⇒ふりかえり⇒創造・発見⇒新たな問い(仮説)
というサイクルの実感とふりかえりをエンターテイメント化すること。
「予測不可能性」をキーワードに、
予想しなかったよかったこと、悪かったことを「場」として振り返ること。
「予想しなかった悪かったこと」を単に反省点・改善点としないで、
それを楽しむこと。そこにもう一歩なぜ?を加えること。
それは「場」のチカラ=仕組みで解決できないかを考えること。
「場」を主体とした実践とサイクルを回すこと、
そして「ふりかえり」のエンターテイメント化による、
「創造」と「発見」の体感。
こうして、学校(評価)システムの呪縛を徐々に解いていくこと。
さらに言えば。
「継承者」である自分に気づくこと。(勘違いすること)
「創造」「発見」のエッジ(創造・発見がギリギリ生まれるか生まれないかのところ)に自分の「存在」を実感すること。
おそらくはこれが、アイデンティティ危機に対する、僕なりの解決策だし、
「にいがたイナカレッジ」1か月インターンの取り組みの価値なのではないだろうか。