2020年12月05日
「学ぶ意欲」は育むことができる
orientedからnon-oriented(非志向性)へ―"向かわない"社会の私たち(20.6.25)
https://note.com/dutoit6/n/nc34622452907
oriented="目指"してきた社会
から
non-oriented=「向かわない」世界だ。
「目指された(oriented)幸せ」は、そこに到達したとき、既に「次の幸せ」が見えている。私たちは本質的な意味において幸福に到達できない。
実はかつて、日本に「幸福/幸せ」という概念はなかった。では日本人はどんな言葉を使っていたかといえば、「穏やか」や「安らか」がそれにあたると言われている。
それでも社会が(それが本質的かどうかは別にして)"成長"できていると認識していたうちは、それでも成立してきた。
これでしょうね。勉強しない理由。
「学ぶ意欲」が湧き出てこない理由。
上記ブログに引用されている
「情熱を探そう」というアドバイスはもうやめよう(19.5.4)
https://tumada.medium.com/do-not-find-your-passion-a7b2f290b5a
「情熱は育むことができる。」
これ、「情熱」を「学ぶ意欲」と置き換えてもいいなと。
あとは気になったのはココ
4. 「情熱を探そう」は原体験という偽の原因を誘発する
ときには情熱を探そうとして原体験のようなものを探してしまうこともあるかもしれません。しかし多くの場合、それは自分探しと同様に失敗に終わるか、もし見つかったとしてもそれは Narrative Fallacy (人が後付け的に物語を構築したりでっち上げてしまう傾向のこと。Narrative Bias とも講釈の誤りとも)の可能性も高いでしょう。人は自分自身の歴史すら物語化したり、単純化したり、分かりやすくしたい欲求に駆られがちです。また柄谷行人が指摘するように、原体験という原因が事後的かつ遡及的に構成されるにすぎないことも多いのではないでしょうか。
これ、いわゆる「ライフヒストリー」ワークへの違和感へ通じる。
「原体験」はパワフルだけど、必ずしもそれがないといけないわけじゃないし、
これから創っていくことができるフィクションだと思う。
もうひとつこちら
「情熱を育む」ための環境を自らデザインしよう(19.5.6)
https://tumada.medium.com/design-environment-for-your-passion-4aaff4e7f4e5
これも「情熱」=「学ぶ意欲」に置き換えられる。
やる気(=学ぶ意欲))がないのを本人のせいにしてはいけない。
「やる気出せ」と言ってはいけない。
「向かわない」社会になってしまった今。
「達成」の喜びは著しく減退した。
「学ぶ意欲」は「環境」によって育むことができる。
その「環境」へのアプローチだ。
ブログの著者馬田隆明さんによれば、
1 場所 (Place)
2 人 (People)
3 プラクティス (Practice)
4 プロセス (Process)
の4Pが大切なのだという。
「探究的な学び」とはこの4つをデザインすることなのだろうと思う。
https://note.com/dutoit6/n/nc34622452907
oriented="目指"してきた社会
から
non-oriented=「向かわない」世界だ。
「目指された(oriented)幸せ」は、そこに到達したとき、既に「次の幸せ」が見えている。私たちは本質的な意味において幸福に到達できない。
実はかつて、日本に「幸福/幸せ」という概念はなかった。では日本人はどんな言葉を使っていたかといえば、「穏やか」や「安らか」がそれにあたると言われている。
それでも社会が(それが本質的かどうかは別にして)"成長"できていると認識していたうちは、それでも成立してきた。
これでしょうね。勉強しない理由。
「学ぶ意欲」が湧き出てこない理由。
上記ブログに引用されている
「情熱を探そう」というアドバイスはもうやめよう(19.5.4)
https://tumada.medium.com/do-not-find-your-passion-a7b2f290b5a
「情熱は育むことができる。」
これ、「情熱」を「学ぶ意欲」と置き換えてもいいなと。
あとは気になったのはココ
4. 「情熱を探そう」は原体験という偽の原因を誘発する
ときには情熱を探そうとして原体験のようなものを探してしまうこともあるかもしれません。しかし多くの場合、それは自分探しと同様に失敗に終わるか、もし見つかったとしてもそれは Narrative Fallacy (人が後付け的に物語を構築したりでっち上げてしまう傾向のこと。Narrative Bias とも講釈の誤りとも)の可能性も高いでしょう。人は自分自身の歴史すら物語化したり、単純化したり、分かりやすくしたい欲求に駆られがちです。また柄谷行人が指摘するように、原体験という原因が事後的かつ遡及的に構成されるにすぎないことも多いのではないでしょうか。
これ、いわゆる「ライフヒストリー」ワークへの違和感へ通じる。
「原体験」はパワフルだけど、必ずしもそれがないといけないわけじゃないし、
これから創っていくことができるフィクションだと思う。
もうひとつこちら
「情熱を育む」ための環境を自らデザインしよう(19.5.6)
https://tumada.medium.com/design-environment-for-your-passion-4aaff4e7f4e5
これも「情熱」=「学ぶ意欲」に置き換えられる。
やる気(=学ぶ意欲))がないのを本人のせいにしてはいけない。
「やる気出せ」と言ってはいけない。
「向かわない」社会になってしまった今。
「達成」の喜びは著しく減退した。
「学ぶ意欲」は「環境」によって育むことができる。
その「環境」へのアプローチだ。
ブログの著者馬田隆明さんによれば、
1 場所 (Place)
2 人 (People)
3 プラクティス (Practice)
4 プロセス (Process)
の4Pが大切なのだという。
「探究的な学び」とはこの4つをデザインすることなのだろうと思う。