2011年10月13日
「誇り」の実体
「誇り」とは、いったいなんだろうか?
農家としての誇りを持つ。
地域に誇りを持つ。
日本人としての誇りを持つ。
それは、どこから来るのか。
いちばんは、歴史。
おそらくはそこだ。
自分たちの歩み、先人たちの苦労。
そんなことを実感できたとき、
誇りが生まれていく。
そこには、「尊敬」がある。
そして「感謝」がある。
その、「尊敬」と「感謝」を失ったから、
「誇り」そのものがなくなったのではないか。
伏見工業山口良治先生が題材の
プロジェクトXで、
同僚の先生が言う。
「山口先生、伏工をラグビーで日本一にしてください。
この学校には誇りが必要なんです。」
そう。
誇りが必要なんだ。
だとすれば、どのように誇りを産んでいくのか?
いや、取り戻していくのか。
歴史。
尊敬。
感謝。
それは、古来から生活の中心であった農業や祭などから、
取り戻していくことなのかもしれない。
にいがた総おどりはそういった取り組みなのだと思う。
だから、「農」を舞台に、
誇りを取り戻していく、そんな仕組みができるのではないか。
「誇り」がひとりひとりの生きる力を生んでいく、と僕は考える。
農家としての誇りを持つ。
地域に誇りを持つ。
日本人としての誇りを持つ。
それは、どこから来るのか。
いちばんは、歴史。
おそらくはそこだ。
自分たちの歩み、先人たちの苦労。
そんなことを実感できたとき、
誇りが生まれていく。
そこには、「尊敬」がある。
そして「感謝」がある。
その、「尊敬」と「感謝」を失ったから、
「誇り」そのものがなくなったのではないか。
伏見工業山口良治先生が題材の
プロジェクトXで、
同僚の先生が言う。
「山口先生、伏工をラグビーで日本一にしてください。
この学校には誇りが必要なんです。」
そう。
誇りが必要なんだ。
だとすれば、どのように誇りを産んでいくのか?
いや、取り戻していくのか。
歴史。
尊敬。
感謝。
それは、古来から生活の中心であった農業や祭などから、
取り戻していくことなのかもしれない。
にいがた総おどりはそういった取り組みなのだと思う。
だから、「農」を舞台に、
誇りを取り戻していく、そんな仕組みができるのではないか。
「誇り」がひとりひとりの生きる力を生んでいく、と僕は考える。