2013年09月03日
専業思想がコミュニティを崩壊させた
ひとつのことをコツコツとやっていくこと。
わき目も振らず集中すること。
これ、大切ですよね。
「手に職」という考え方にも通じる、コンセプト。
でも。
これこそが地域コミュニティを崩壊させたのではないかと
仮説を立ててみる。
「ナリワイをつくる」
の伊藤さんによれば、
もともと、大多数の日本人は1つではなく、
複数の仕事を持っていたのだという。
それが1954年に始まる高度経済成長によって、
あっという間に専業思想に入れ替わった。
~~~ここから引用
小さい生業をやるより、皆で大きいビジネスをしようということで、
日本人総出で絞り込んだ業種、自動車や電機などの製造業で
勝負する「株式会社日本」が設立された。
私が生まれたころにはだいたいの人が会社員になっていたので、
わずか30年くらいでそれまでのやり方を一気に変えてしまった。
~~~ここまで引用「ナリワイをつくる」(伊藤洋志)
そして誕生したのが今の社会だ。
同窓会などで聞かれる、
「いま、何してるの?」
というのは、
「いま、どんな職業で、どんな会社に勤めているのか?」
という意味だと思って、間違いない。
決して、「いまは競馬が面白くてさあ、この前のダービーが・・・」
とか言っても、空気が読めない男になってしまう。
これが専業思想だ。
ひとりひとりはどこかの会社に属していて、
それを「仕事=(本業)」と呼び、それ以外のやることは
全て「余暇」あるいは「副業」と呼ばれる。
この意識転換。
これが地域コミュニティを失う、
つまり「公」を失わせる原動力になったのではないか。
私にとって「仕事」とは
〇〇株式会社の〇〇課の課長としての
中間管理職的任務を全うすることがすべてであり、
それ以外は「仕事」ではなく「プライベート」である。
地域のお祭り?
まあ、仕事に余裕があったら、参加しますよ。
地域の側溝の掃除?
それ、税金払っているんだから、行政さんがやってくださいよ。
とまあ、こんな感じで、
専業になったことによって、
個人の中で
「公」と「私」が明確に区分された。
さて、それはどういうことか、よくわかる例をひとつ。
行政に何か聞きに行って、
たらいまわしにされた経験をお持ちかと思う。
そのときの、断り文句はこれだ。
「それは私のシゴトではないから、他の課にいってくれ。」
私のシゴトでなければ、やらなくていいのか?
と思いたくもなるが
これがその専業思想の結果である。
コミュニティの維持・発展は、私のシゴトではない。
この思想が、コミュニティを崩壊させたのではないか。
だとすれば。
コミュニティを復活させるには、
まずはその「専業思想」を打ち破らなければならない。
いや。
それは、もしかしたらすでに起こっている。
コワーキングスペースやナミイタアレイのような
小さなお店の集合体ってまさにそれなんじゃないか。
彼らは小さなコミュニティを形成している。
小さなビジネスは、人間関係がすごく重要だ。
「これも僕の仕事につながるかもしれない。」
打算的なことではなく、そういう感覚が、
自然としみついてくる。
これが「ナリワイ」の良さなのではないか。
専業の時代からナリワイの時代へ。
こうして、コミュニティは復活してくる。
わき目も振らず集中すること。
これ、大切ですよね。
「手に職」という考え方にも通じる、コンセプト。
でも。
これこそが地域コミュニティを崩壊させたのではないかと
仮説を立ててみる。
「ナリワイをつくる」
の伊藤さんによれば、
もともと、大多数の日本人は1つではなく、
複数の仕事を持っていたのだという。
それが1954年に始まる高度経済成長によって、
あっという間に専業思想に入れ替わった。
~~~ここから引用
小さい生業をやるより、皆で大きいビジネスをしようということで、
日本人総出で絞り込んだ業種、自動車や電機などの製造業で
勝負する「株式会社日本」が設立された。
私が生まれたころにはだいたいの人が会社員になっていたので、
わずか30年くらいでそれまでのやり方を一気に変えてしまった。
~~~ここまで引用「ナリワイをつくる」(伊藤洋志)
そして誕生したのが今の社会だ。
同窓会などで聞かれる、
「いま、何してるの?」
というのは、
「いま、どんな職業で、どんな会社に勤めているのか?」
という意味だと思って、間違いない。
決して、「いまは競馬が面白くてさあ、この前のダービーが・・・」
とか言っても、空気が読めない男になってしまう。
これが専業思想だ。
ひとりひとりはどこかの会社に属していて、
それを「仕事=(本業)」と呼び、それ以外のやることは
全て「余暇」あるいは「副業」と呼ばれる。
この意識転換。
これが地域コミュニティを失う、
つまり「公」を失わせる原動力になったのではないか。
私にとって「仕事」とは
〇〇株式会社の〇〇課の課長としての
中間管理職的任務を全うすることがすべてであり、
それ以外は「仕事」ではなく「プライベート」である。
地域のお祭り?
まあ、仕事に余裕があったら、参加しますよ。
地域の側溝の掃除?
それ、税金払っているんだから、行政さんがやってくださいよ。
とまあ、こんな感じで、
専業になったことによって、
個人の中で
「公」と「私」が明確に区分された。
さて、それはどういうことか、よくわかる例をひとつ。
行政に何か聞きに行って、
たらいまわしにされた経験をお持ちかと思う。
そのときの、断り文句はこれだ。
「それは私のシゴトではないから、他の課にいってくれ。」
私のシゴトでなければ、やらなくていいのか?
と思いたくもなるが
これがその専業思想の結果である。
コミュニティの維持・発展は、私のシゴトではない。
この思想が、コミュニティを崩壊させたのではないか。
だとすれば。
コミュニティを復活させるには、
まずはその「専業思想」を打ち破らなければならない。
いや。
それは、もしかしたらすでに起こっている。
コワーキングスペースやナミイタアレイのような
小さなお店の集合体ってまさにそれなんじゃないか。
彼らは小さなコミュニティを形成している。
小さなビジネスは、人間関係がすごく重要だ。
「これも僕の仕事につながるかもしれない。」
打算的なことではなく、そういう感覚が、
自然としみついてくる。
これが「ナリワイ」の良さなのではないか。
専業の時代からナリワイの時代へ。
こうして、コミュニティは復活してくる。