2013年10月12日
キャリアデザインが勉強意欲を失わせる
「キャリアデザイン」
大学生のほぼ全員が履修する授業。
自らの過去を振り返り、未来を展望する授業。
大学生だけではない。
中学生、高校生の「キャリア教育」
と呼ばれる授業で実践されることだ。

やりたい仕事病(榎本博明 日経プレミア新書)
この本を読むと、
その恐ろしさに背筋が凍る。
早期のキャリアデザインが
目的・目標志向を強めた結果、
勉強意欲を失わせるというのだ。
たしかに、
エンジニアになりたいと思っている生徒には、
国語や日本史は、将来の自分の仕事に役に立たないと
思ってしまうかもしれない。
将来の職業に役立つか?といった視点をもつことで、
純粋に日本史や国語に出てくる人間模様を
楽しんでいた子も、数学や物理の問題をゲーム感覚で
解いていた子も、やる気をなくしてしまう可能性がある。
キャリアデザインの弊害である。
まあ、実際に大学生に話を聞いていると、
「こんなことやって意味あるのかなあ」と
疑問を抱きつつやっている生徒の方が多いのだろうなあと思うのだが。
もうひとつ、
この本で興味深いところは、
「マッチングは通用しない」ということだ。
大学卒の3人に1人が3年以内に辞めるという離職率の高さは、
ミスマッチ(個人の適性と仕事がマッチしていない)
が原因であるということになっている。
しかし著者は、
マッチングはもはや通用しない、と言い切る。
~~~ここから引用
はっきり言えることは、従来のキャリア決定の予測モデルは通用しないということだ。
従来のキャリア決定のサポートにおいては、
個人の特性と仕事が要求する特性をマッチングさせるという発想が中心だった。
エンジニアにはこういう性格や興味をもった人間が多い。
ゆえに、こういう性格で、こういう興味が強く、こういう能力のある人物は、エンジニアに向いている。
このようなやり方を個人と仕事のマッチングという。
こうした発想がなぜ通用しなくなってきたのか。
それは、変動の激しい時代になり、
個人も仕事も予測不能な変化を示すようになったからである。
多くの人々が似たようなライフコースを歩み、個人の人生行路が
概ね予想できる静的な社会なら、
性格や能力や価値観・興味といった
個人の特性が劇的に変化することはあまり想定する必要はない。
仕事についても、同じ仕事であれば
何年経っても同じようなやり方でやっていればよいという
静的な社会なら、個々の仕事が要求する特性も一定であるとみなすことができる。
だから、個人と仕事のマッチングといった発想が成り立つのだ。
しかし、個人の特性も、個々の仕事が要求する特性も、
それぞれに変化するとしたら、ある時点でマッチングしたとしても、
数年後には齟齬が生じてしまう可能性が高い。それでは意味がない。
~~~ここまで
つまり、急速に変化する世の中では、
「マッチング」という考え方の前提が崩れているので、
マッチングは通用しない、ということである。
だとすれば、
キャリアデザインを考え、自分に合った仕事をマッチングする、
という考えそのものを改めていかなくてはならないのではないか。
しかも。
重要なのは、「個人も成長する」ということだ。
著者は言う。
「社会の変化に伴って、仕事の形態が変化するということに加えて、
個人も成長し、変化する。マッチングの発想は、この個人が成長し、変化する
ということを軽視していたように思われる。」
そうなんだよね。
根本的原因は、
才能思考=「固定的知能観」
なのだと思う。
成長思考=「成長的知能観」
を前提としていれば、「マッチング」などという考え方が通用しないのはわかりそうなものだ。
自分のやりたいこと、適職はなんだろう?
と考えることではなく、目の前の仕事を、勉強をまずはやってみる。
そこから花開く才能があるかもしれない。
いいんだ。
かもしれない。で。
未来は未確定なのだから。
大学生のほぼ全員が履修する授業。
自らの過去を振り返り、未来を展望する授業。
大学生だけではない。
中学生、高校生の「キャリア教育」
と呼ばれる授業で実践されることだ。

やりたい仕事病(榎本博明 日経プレミア新書)
この本を読むと、
その恐ろしさに背筋が凍る。
早期のキャリアデザインが
目的・目標志向を強めた結果、
勉強意欲を失わせるというのだ。
たしかに、
エンジニアになりたいと思っている生徒には、
国語や日本史は、将来の自分の仕事に役に立たないと
思ってしまうかもしれない。
将来の職業に役立つか?といった視点をもつことで、
純粋に日本史や国語に出てくる人間模様を
楽しんでいた子も、数学や物理の問題をゲーム感覚で
解いていた子も、やる気をなくしてしまう可能性がある。
キャリアデザインの弊害である。
まあ、実際に大学生に話を聞いていると、
「こんなことやって意味あるのかなあ」と
疑問を抱きつつやっている生徒の方が多いのだろうなあと思うのだが。
もうひとつ、
この本で興味深いところは、
「マッチングは通用しない」ということだ。
大学卒の3人に1人が3年以内に辞めるという離職率の高さは、
ミスマッチ(個人の適性と仕事がマッチしていない)
が原因であるということになっている。
しかし著者は、
マッチングはもはや通用しない、と言い切る。
~~~ここから引用
はっきり言えることは、従来のキャリア決定の予測モデルは通用しないということだ。
従来のキャリア決定のサポートにおいては、
個人の特性と仕事が要求する特性をマッチングさせるという発想が中心だった。
エンジニアにはこういう性格や興味をもった人間が多い。
ゆえに、こういう性格で、こういう興味が強く、こういう能力のある人物は、エンジニアに向いている。
このようなやり方を個人と仕事のマッチングという。
こうした発想がなぜ通用しなくなってきたのか。
それは、変動の激しい時代になり、
個人も仕事も予測不能な変化を示すようになったからである。
多くの人々が似たようなライフコースを歩み、個人の人生行路が
概ね予想できる静的な社会なら、
性格や能力や価値観・興味といった
個人の特性が劇的に変化することはあまり想定する必要はない。
仕事についても、同じ仕事であれば
何年経っても同じようなやり方でやっていればよいという
静的な社会なら、個々の仕事が要求する特性も一定であるとみなすことができる。
だから、個人と仕事のマッチングといった発想が成り立つのだ。
しかし、個人の特性も、個々の仕事が要求する特性も、
それぞれに変化するとしたら、ある時点でマッチングしたとしても、
数年後には齟齬が生じてしまう可能性が高い。それでは意味がない。
~~~ここまで
つまり、急速に変化する世の中では、
「マッチング」という考え方の前提が崩れているので、
マッチングは通用しない、ということである。
だとすれば、
キャリアデザインを考え、自分に合った仕事をマッチングする、
という考えそのものを改めていかなくてはならないのではないか。
しかも。
重要なのは、「個人も成長する」ということだ。
著者は言う。
「社会の変化に伴って、仕事の形態が変化するということに加えて、
個人も成長し、変化する。マッチングの発想は、この個人が成長し、変化する
ということを軽視していたように思われる。」
そうなんだよね。
根本的原因は、
才能思考=「固定的知能観」
なのだと思う。
成長思考=「成長的知能観」
を前提としていれば、「マッチング」などという考え方が通用しないのはわかりそうなものだ。
自分のやりたいこと、適職はなんだろう?
と考えることではなく、目の前の仕事を、勉強をまずはやってみる。
そこから花開く才能があるかもしれない。
いいんだ。
かもしれない。で。
未来は未確定なのだから。