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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2015年07月16日

「評価」ではなく、「承認」を必要としている。

マズローの欲求5段階説と、山竹伸二さんの3つの承認欲求


「認められたいの正体」(山竹伸二 講談社現代新書)

夢至上主義の苦しさのひとつもここにある。
「他者からの承認」を得ようとする心だ。

「承認」は「評価」と裏表になっているように思える。
つまり、「承認されたい」という気持ちは
「評価されたい」と思っているのに近い。

しかし。
実際はそうではないと思う。
「承認」と「評価」は別物である。

何か悪さをして、お母さんにおこられた後に、
おばあちゃんの家に行って、
「大丈夫、あなたがいい子なのはおばあちゃんは知っているから」

というのは、「評価」ではなく、「承認」である。
おばあちゃんからすれば、「受容」である。

おそらくはここ。
大学生が抱える生きづらさの正体の1つはそこにあるのではないか。

学校、および学校化された社会では、
「承認」と「評価」が一体化している。

そのため、本来は「承認」が必要であるはずの
子どもたちが「評価」を求めてしまう。
簡単に言えば、「褒められること」を求めてしまう。

ところで、ビジネスの世界で一時話題になった
「コーチング」の世界では、
褒めること(評価)と承認が区別されている。

~~~ここからwebより引用

http://jinji.jp/blog/blog01/2014/12/09-371833.php
「人事戦略研究所」webより

コーチングにおける「承認」

1.「あなたがいてくれて助かる」といった存在そのものを認める「存在承認」
2.「いつも掃除してくれてありがとう」といった努力やプロセス、日頃の好ましい言動を認める「事実承認」
3.「仕事のスピードが上がったね」といったよい方向へ変化していることを認める「変化承認」
4.「目標達成おめでとう、よくやった」といった成果、結果を認める「成果承認」

http://allabout.co.jp/gm/gc/323900/2/
All about 部下が元気になる「承認」とは?より

承認を伝える際には次の3つのポイントを意識して伝えましょう。

1.事実を伝える
相手が何を達成したか、どんな行動をしたかの事実を伝えること

2.比較する言葉は使わない
「A君より優れている」など、比較を使うと受け取りにくくなります

3.相手に届くのを待つ
承認を伝えたら相手が受け入れるのを待つ。
相手の反応がすぐになくても、よく観察していることです。
一瞬の表情の動きや声のトーンの変化を見逃さず意識します

~~~ここまでwebより引用

なるほど。
「承認」と「評価」は別物なのだ。

だから。
大学生が考えるのは、
自分がほしいのは、「評価」ではなくて「承認」
なのではないか?ということ。

学校は「評価」を前提としたシステムとなっているので、
どうしても「評価」を求めてしまう。

そしてそれこそが
引用記事の2つ目にあるように、
他者との「比較」を生み、より苦しくなってしまっているのだ。

こう書いていて、
思い出したひとつの本がある。


「第四の消費」(三浦展 朝日新書)

http://hero.niiblo.jp/e346221.html
ブログ「20代の宿題」~家電を売るために夢を持て?(2014年1月30日)

1975年。
洗濯機、冷蔵庫、テレビなどの耐久消費財の
世帯普及率が90%を超えた。

もはや、家電は売れない。
(テレビは2台あってもいいかもしれないが、洗濯機は1家に2つ必要ない)

しかし、家電メーカーは多数の社員を抱え、
ローンでマイホームを購入済みだ。

洗濯機をもう1台売るにはどうしたらいいのか?
世帯を分断すること、つまり一人暮らしである。
そして、「第四の消費」でも書かれているが
ウォークマンに代表される個別家電を売ることだ。

これを三浦さんは「個性化消費」と呼んでいる。
つまり、自分らしく生きるために家電を買うということ。

僕はこれが、
「承認欲求」を「他者評価欲求」にすり替える
社会全体の巧妙な作戦だったのではないか、と考える。

つまり。
人と違うものを持つことも、人と同じものを持つことも、
「個性化」ではなく、「他者評価欲求」を満たすものなのではないか。
女子高校生がルイヴィトンのバックや財布を持つことも、それに近いのではないか。

しかし。
冒頭の「認められたいの正体」にもあるように、
本当に必要なのは、「他者評価」ではなく「承認」なのではないか。

まず、その自覚。

自分がかけがえのない存在であるという「親和的承認」
自分がチームの中で役割を果たしているという「集団的承認」
自分が社会の役に立っているという「社会的承認」

これらを得るためにすることと、
「他者評価」を得るためにすることは、
違うのではないか、という今日の仮説でした。  

Posted by ニシダタクジ at 07:27Comments(0)日記