プロフィール
ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2011年10月31日

師匠を持つ、という強さ

師匠になるための
たったひとつの条件は、師匠を持っていることだと、
内田樹先生は、著書「下流志向」の中で言っている。

師匠と弟子。
それこそが生きる力だったのか。
自分に師匠がいること。
それが苦境のときに力になる。

それがタテのつながり。

生きる力とは、
「つながっている」ということなのかもしれない。

そのつながりには
ヨコのつながり
タテのつながり
そして、ナナメのつながり
が必要なのだなあ。

かつての農業社会、地域社会には、
タテ、ヨコ、ナナメのつながりがたくさん
あったから、いろいろ機能していたんだなあ。

タテの関係は
師匠を持つ、という強さ。
歴史とつながっているという強さ。
それは言わば「尊敬」のチカラ

ナナメの関係は、
第3の場所、価値観があるという「開放」

ヨコの関係は
友人、話ができるという「安心」

そんな関係性が、いつの時代も必要だったのではないだろうか。  

Posted by ニシダタクジ at 09:53Comments(0)学び

2011年10月29日

まちづくりdrinks in七尾

石川県七尾市。
金沢から60km離れたこの地に、
素敵な空間があることを知った。

まちづくりdrinks第3回。
テーマは「こどもとまちづくり」

保育士の先生を招いての
保育園の現状を聞く。

コミュニケーション。
現代社会において、いかに
コミュニケーションが減っているか、が明らかになった。

という真面目な話。
だが。
みんなすでに飲んでいる。

ビール持参。
地元の名店の焼き鳥と串かつ、コロッケ。

これがすでにトークの前に始まっている。
ほろ酔いで聞く熱いトークが素敵だ。

終わったあとには、なんと生ライブ。


こういうときに
クラシックはいいね。

アヴェ・マリアとかアメージンググレイスとか。
走馬灯のように人生が駆け抜ける
曲がつづき、僕も泣きそうになりました。

やっぱりクラシックをああいう空間で聞けるって素晴らしい。
人生に感謝できるよ。

今回、まちづくりdrinksに出て、
確信したのは、

主催者の意志と姿勢が、会場の空気を支配する、
ということ。

河田さんの「うちの実家」のときにも思ったけど、
河田さんあってのあの空間なのだなあと思った。

今回も森山さんの
意志とゆるい雰囲気が素敵な空間を作り上げていました。

僕が創りたいのは、どんな空間なのだろう。

ゆるく、ときに、熱く。
熱くなくてもいられる場所。

帰ったらスタッフと一緒に考えよう。
「どんな空間を創りたいのか?」  

Posted by ニシダタクジ at 04:37Comments(0)イベント

2011年10月28日

教育は等価交換ビジネスではない

内田樹「下流志向」
これは、恐ろしい。
2007年の本でありながら、新鮮そのものだった。
人はなぜ学ばなくなったのか。
授業はなぜ、成り立たないのか。

内田先生は、
教育がビジネスになってしまったと言う。

ビジネスの原則は
等価交換。

支払ったお金と
同等の価値を得るモノやサービスを
交換するというのが商取引だ。

それが、あらゆるところに
浸透していると内田先生が言う。

子どもに限らず、我が国の人々は、賢い消費者となった。

つまり。
できるだけ、安く、いいものを買う。

この原則を世の中の全てを当てはめようとすることが
コミュニティ崩壊のキーだと、改めて実感した。

いつの頃からだろう。
子どもたちの社会参加は
「家の仕事の手伝い」をする労働主体としてではなく、
「モノを買う」という消費主体として社会に接するようになった。

世の中からは
「賢い消費者」になれ、と要求され、
幼いながら「費用対効果」の波にさらされる。

消費主体として、
学校というシステムに対してするべき、
最初の質問はこれだ。

「なんのために勉強するんですか?」

つまり。
授業を受けるという苦痛の対価として何が得られるか?
が理解できないと、私はその苦痛を提供しませんよ、
取引不成立ですよ。と。

しかし。
内田先生は言います。

学びというのは、
やる前にはその価値がわからないのだと。

学び始めたとき、
あるいは学び終わったときに
初めてその価値を理解するのだ。
これは長期インターンシップと同じだなあと思った。

最初、その価値はわからないのだ。
やってみて初めて価値がわかる。

それが教育であり、学び。
だとすると、教育に等価交換の原則は成立しない。

だから、本来、私たちがするべきことは、
「なんのために勉強するのか?」
に対しての、明確な答えを用意すること、

たとえば、
「いい高校、いい大学に入ると、人生成功するよ」とか
をいうことではなく、

信念を持って、
「とにかく勉強しろ」「勉強するというのは楽しいことだ」
と自分自身の魅力で勝負して勉強への意欲を高めるしかない。

そして何より、
消費主体として生きるよりも、労働主体として何かアクションする。
家庭内や地域で何らかの役割を担うことで
人の役に立つ喜びを感じてもらうことが
教育再生の近道なのではないか、と強く思った。

「農業」や「商店街」を使って、
そんなことができないだろうか。
  

Posted by ニシダタクジ at 17:17Comments(0)

2011年10月27日

中学生・高校生への直接アプローチ

将来、何になりたいんだ?
夢はなんだ?

そんなこと言われても・・・

モデルがいない。
そもそも、世の中を知らない。

14歳くらいで、
そんな問いを言われても、
あまりにも思いつく仕事は少ない。

勉強ができる子は、
それを先延ばしにすることも多い。

高校に行ったら考えよう。
とりあえず勉強。
大学に行ったら考えよう。
とりあえず受験。

あれ。
大学3年。
何も見つかっていないじゃないか。

どうしよう。
大学院に行くか。
悪魔のささやきだ。

内田樹先生は、「街場のメディア論」で
自分に向いている職業などない、と断言する。
そうではなくて、仕事に合わせて、
どう自分が貢献していくか、を繰り返すことだと言う。

そういうことだと僕も思う。
だから、中学生のときからできることは
ありもしない答えを探すことではなくて、
たくさんの大人に出会い、価値観に出会い、
孤独の中で自問自答をし、その問いを再び大人にぶつけてみる。
そんな繰り返しなのではないだろうか。

2002年。
ひとりの中学生3年男子と出会った。
彼は不登校だった。
だんだん話をしていくうちに、
自分のいい加減さがすごく大切だと気づいた。

世の中には、いい加減な大人も必要だ。

それから、僕のテーマは、
中学生・高校生との大人との接点を
つくることだった。

まずは小学生から大人と接する遊び場を
開催していた。
次にやったのは大学生が企業の経営者と
学ぶ研修プログラムだった。

その間に、小さな学習塾をオープン。
楽しい日々を送っていたが、
自分だけが講師であるのは
ちょっと物足りなかった。

どうすれば、直接アプローチできるのか?
街の多様な大人が、中学生や高校生、大学生と
将来を共に見つめ、行動するきっかけを作れるのか?

たこ焼き?
クレープ?
大判焼き?

そんな飲食系か?
それもいいだろう。

そんなときに、
ジブン発掘本屋~ツルハシブックスがスタート。

7月には地下古本コーナー「HAKKUTSU~発掘」がスタート。

思いのある大人が、メッセージをつけて、
古本を贈る。
それを若者が発掘する仕組み。

これによって、
新しい出会いがすでに生まれている。

そして僕は、学習塾や軽食以外の
中学生・高校生への直接アプローチ手段を得た。
これから何が始まるのか、とても楽しみだ。

10月27日木曜日、改装を経て、HAKKUTSU再開です。

  

Posted by ニシダタクジ at 06:34Comments(0)就職

2011年10月26日

つながりと価値観の時代

「つながり」と「価値観」
の時代がやってきたように思う。

それは、
「つながり」が分断されてしまったから。
画一化された「価値観」の中に閉じ込められてしまったから。

いまこそ。
「つながり」と「価値観」
の時代がやってくる。

マズローの欲求5段階説。
生理的欲求
安全欲求
が満たされた状態で次にみたされるのは

帰属の欲求。
つまり、どこかに属している、
何かにつながっているということを欲している。

だから、
家に閉じこもっていても、
ネットコミュニティには、参加していたりする。
学校では、はぐれものでも、
夜の街ではグループに属していたりする。

そして、自我の欲求。
自分自身が何者なのか?
他人から価値ある存在として見られているのかどうか?
そんなことを欲している欲求。

マズローはこれを経て
第5段階の自己実現の欲求へと
つながっていくのだと説いている。

「つながり」と「価値観」の時代。

フェイスブックが爆発的に普及しているのは、
まさに、これ、「つながり」の感覚と「価値観」の表現を
同時に実現するツールだからであると僕は思う。

それでは、
現実社会において、つながりと価値観は
どのように実現、表現されることができるだろうか。
そしてそれを世代を超えて広げることができるだろうか。

「農業」「農的文化」は
かなり有効なツールになりうると僕は考えている。  

Posted by ニシダタクジ at 07:10Comments(0)日記

2011年10月25日

耕作放棄地問題

目的は何か?
その前に根本原因はなにか?

ここから出発しないと。

タバコ農家7割廃業で
ますますクローズアップされるであろう
耕作放棄地問題。

じゃあ、代わりに農業やる人を探しましょうか?

っていうのも大事だけど
それだけでは根本的な解決になっていない。

こういうときこそ
「なるほど」「チャンスだ」「ありがたい」
の法則だ。

まずは「なるほど」と事実をそのまま受け止める
次に「チャンスだ」と機会的に事象を見る。
最後に「ありがたい」とこのことのおかげで、と感謝して見るということ。

とすれば、
耕作放棄地問題の原因は
農家の高齢化と担い手不足によって
耕作地の放棄が進んでいるからだ。

ではどうして、高齢化で担い手不足なのか。
その原因は、農業所得が、他産業より低く、
後継者が継がないから。
もうひとつは、農業従事希望者に対しての
農地がうまくまわる仕組みがないからだ。

仮に、農業所得を向上させることで、
後継者が育つとすると、
その向上のために、
たとえば、生産、加工、販売を一貫してやる
「6次産業化」などが必要となってくる。

それを農家単独で行うことは
資金的、時間的、技術的に難しいので、
地域内企業や、大学生のプロジェクトで
作り上げていく方法もある。

それでは、
「耕作放棄地問題」を機会として見ると、
どんなことが可能になるだろうか。

たとえば、市民農園。
シニア世代の農的活動への関心は高まっているから、
彼らのために農家とコラボした市民農園を生み出していく。
そう言ったことも可能になるのかもしれない。

最後に
「ありがたい」として見る。

耕作放棄地問題・後継者不足によって、
若者の職業選択の幅が広がるということ。
特に、これからは、農業プロデューサーが
必要とされる時代になる。

個々の農家の6次産業化が
難しいのあれば、その機能を
誰か他の人が担っていく。

それによって、地域のつながりが
再構築されていく。

このように
「耕作放棄地問題」を
「なるほど」「チャンスだ」「ありがたい」
3段活用で、もう一度考えてみる必要がありそうだ。  

Posted by ニシダタクジ at 07:02Comments(0)アイデア

2011年10月24日

うちのDEアート最終日

うちのDEアート最終日でした。
地下室のぼうけん「HAKKUTSU」も
大好評でした。
特に小学生に。

やっぱり探検モノはやりたいんだなあって。
五十嵐3の町とか、探検すると
楽しそうなところたくさんあるけどね。
夜は打ち上げでした。

17日間という長期間にわたって、
開催されたうちのDEアート。

今年は地元ということもあり、
ほとんど全部のアートを
見に行くことができました。

やっぱり茂木さんの
作品には衝撃を受けたし、
小柳さんの妖怪絵もステキでした。
でかい割り箸の舟もすごかった。

なんというか。
「よかった」というより、

「すごかった」
「ビックリした」

そんな作品が好きです。
岡本太郎さんのおかげかな。

「今日の芸術」を
読んでから、僕はアートを見に行けるように
なりました。

わからなくたっていい。
感じるんだ。
それは書道も同じです。

心揺さぶられるアートを、
僕も作って行きたいなあと思います。

「あの本屋さんすごかった。」
「行ってみろよ、ビックリするから。」

そんな本屋さんを創らなきゃね。

東京・PAPER WALLと大阪・STANDARD BOOKS
をライバルに、本屋さん磨きをします。

うちのDEアート、関係者の皆様、ありがとうございました。
おつかれさまでした。  

Posted by ニシダタクジ at 04:06Comments(0)日記

2011年10月23日

インターンではなく、人生。

人と人のつながり、関係性。

起業家留学第7期生からも、
口々にそんな言葉が発せられた。
半年間を振り返ると、
出てくるのは、そのことばかり。

「仕事じゃなく、人生」だと誰かが言っていたけど、
ホント、そう思う。
インターンではなく、人生を生きている。

受け入れ側も
インターン生を受け入れているのではなく、
「インターン生を受け入れる」という人生を
受け入れているのだなあと感じた。

「費用対効果」という言葉がある。

これは本来、
広告費をかけるときなどに使う言葉だ。

10万円の広告費をかけて、
売上が50万円伸びて、利益が15万円上がった。
とすると、広告の効果があったのではないか、とされる。

それでは、
インターンの費用対効果はどうだろうか?

大学時代の貴重な時間を投じて、
金銭的なメリットはほとんど何もない。

受け入れ側もそうだ。
大学生を受け入れることで手間はかかるが
劇的に売上が伸びるなんてことはまずない。

だとすると。

インターンの「費用対効果」とは
どうなっているのだろうか?

田坂広志さんによると
仕事の報酬には、金銭的報酬(マネー・リターン)
以外に4つがあるという。

1 ナレッジ・リターン=知識の報酬
2 リレーションシップ・リターン=関係性の報酬
3 ブランド・リターン=自分自身のブランドUPの報酬
4 グロース・リターン=成長という報酬

こう見ると、インターンは、
マネーリターン以外の報酬がたくさんもらえていることに気づくのではないか。

知識、そして成長。
波田野くんに至っては、関本常務に、
「安心して仕事を任せられる」と言わしめるブランドまで構築していた。

しかし。
もっとも重要なのは、
2 リレーションシップ・リターンだと僕は思う。

特に、大学時代に育んだ「関係性」ほど、
後になって効いてくるものはないと僕は思う。

そしてそれは社会人になってから築くよりも
5倍効率的だと実感値で思う。

つまり、インターンの
リレーションシップ・リターンへの
「費用対効果」はハンパじゃなく高いのだ。

そして、それはそのまま、
個人だけではなく、地域の力につながっていく。
若者と企業の社長がコラボしていくことは、
新しいことが生まれ、地域に活力を必ずや生んでいくだろう。

だから、僕たちは、
インターン事業をやってきたし、
これからもやっていく。

受け入れ企業もそうだ。
「インターンではなく、人生」

そんな言葉に共感できる企業と
一緒にプロジェクトを作っていきたい。

「教育」とは、
教育を受ける個人の利益を最大化するためにあるのではなく、
共同体が生き延びるためにある。と、内田樹先生が言っていたが、
インターン事業というのは、共同体が生き延びるために、
かなり有効な手段になっていくと僕は考えている。

インターンではなく、人生を生きる。
仕事ではなく、人生を生きていく。

その核を誰かが作らなければならない。

起業家留学第7期生、本当にお疲れ様でした。
受け入れ企業の皆様、本当にありがとうございました。
コーディネーターの中村さん、高澤さんお疲れ様でした。

次の物語も一緒に作れたら幸いです。  

Posted by ニシダタクジ at 06:39Comments(0)日記

2011年10月22日

新潟市サポーターズ倶楽部

新潟市サポーターズ倶楽部ミーティングに
行ってきました。

信濃町のジョン万次郎。
船をかたどったステキな店内。

新潟市ゆかりの
みなさんが集まり、
いろいろPRしたり、
美味しいものを食べたり。
ステキな時間でした。

今回。
東京在住新潟人の集い
「にいがたり」とツルハシブックス
そして、新潟市サポーターズ倶楽部
のコラボ企画「Compass」を企画。

サポーターズ倶楽部は、
だいぶ平均年齢が高いので、
大学生がかかわる起爆剤になればいいなあと。

本を通じて人と人をつなぐ。

このコンセプトをもって、
ツルハシブックス、東京でも仕掛けます。

ゆくゆくは、
ビジネスプランコンテストとか、
UターンIターンの企画とか、
そういうところまで伸ばせていければいいなあ。

篠田市長にも、1冊本をお願いしました。
待ってますね~!  

Posted by ニシダタクジ at 07:42Comments(0)日記

2011年10月21日

11月12日清水克衛さん講演会

チャレンジングな友達を作る。

夢をひたすら語り
行動している友達を作る。
それだけで、世界が広くなる。

聞いているだけで、楽しくなる。
そして自分もチャレンジしたくなる。

そういう、空気の中に
自分を置くことが大切だ。

僕が大学生~20代中盤くらいまでの
モチベーションの維持は、
そういうことだったと思う。

2ヶ月先の予定を入れてしまう。
先に振り込んでしまう。

そうすると、決まって、
その直前にはなんか凹むことがあって、
やる気でないなあということになる。

そんなときに、2ヶ月前のモチベーションで
申し込んだイベントがある。

もうお金払っているからもったいないから
行くか、ということになる。
すると、そこでは人生を変える出会いが待っているのだ。

そしてまたモチベーションが上がる。
そんなサイクルでできていた。
大切なのは、そんな空気感の中にいること。

いま。
もっとも輝いているのは、
11月12日の清水克衛さん講演会実行委員会だろう。

東京の「読書のすすめ」
という熱い本屋さんの社長、清水さんが
新潟にやってくる、ということで、
みんなで手づくりで講演会を作っている。

代表の大ちゃんががんばっているよ。
あのグループの空気感が好き。

ということで、11月12日(土)清水克衛さん講演会。
ツルハシブックスでチケット扱っています。
前売 1500円 学割はなんと1000円

これは聞いたほうがいいですよ。
実行委員会のステキな空気感も感じてください。  

Posted by ニシダタクジ at 05:32Comments(0)日記

2011年10月20日

屋号と肩書きを持つ

屋号と肩書きを持つ。

これが自分を振り返るときに
すごく必要なのかもしれない。

自分が個人としては
何屋さんで、どんなミッションを帯びているのか?
それが「屋号」と「肩書き」だから。

屋号はシンプルなほうがいい。
肩書きも分かりやすいほうがいい。

現在、僕の肩書きは
モチベーションプロデューサーなんだけど、
たぶんヒーローズファームやツルハシブックスとしての
肩書きはそれでいいのだろうと思う。

では、いったん素のニシダタクジになったとき。
僕の肩書きと屋号はどうなるんだろうか。

肩書きはたぶんこれだ。
「人生の大道具小道具係長」

屋号はどうしようかな。
何屋さんにしようかな。

そんなことを考えるひとりワークショップ、
面白いかもしれませんね。

11月からいろんな講座、始まります。  

Posted by ニシダタクジ at 05:00Comments(0)日記

2011年10月19日

市場は何を待っているか?

えにしや経営塾の第7回。
会社ゲームに初挑戦。

工場を建て、製品を生産して、市場に売る。
これが実によくできている。
不況・好況が手に取るように実感できる。

これは、学んだ。
第1期と第2期。

ウチのテーブルは
みんなが自分のことばかり考えて、
市場が全然回らなかった。

ところがテーブルを変えた第3期。
ステキな人がいたものだ。
白井さん。

とにかく、市場のことばかり考える。
売れる市場をみんなのために確保。
売れそうなときはみんなにおすそわけする。

「売れるときに自分だけで売る。」
のではなく、少しずつ、みんなから売れるようにする。
そんな手法で白井さんは着々と資産を積み上げていった。

それか!

市場は何を待っているのか?

それがすごく大切なのだなあ。

その問いに答えられるビジネスを生み出していくことだ。
市場は私たちを待っている。  

Posted by ニシダタクジ at 06:40Comments(0)日記

2011年10月18日

オールオアナッシング

「おせっかい教育論」
(内田樹 鷲田清一 平松邦夫 釈徹宗 140B)
はかなり面白いね。

昨日も朝読書でツイートしまくってました。

昨日ヒットしたのはココ。

オールオアナッシング。
服従か、決裂か。

教育の現場に、いや、子どもが育つ現場に
そういう全か無か、みたいなのが
入り込んでしまっている。

それはいったい何のためなんだろう?
って思う。
きっと管理のためよね。

オールオアナッシングの世界って
すごくさびしい。
学校になじめるか、学校に行かないか

しか選択肢がないのだから。

たまに学校に行く。
ふだんは山に行く。
そんな小学生がいたっていいじゃないか。

この本では、
「教育は何のためにあるのか?」
という根本的問いを放つ。

教育は個人の利益を最大化するためにあるのではなく、
共同体が生き延びるために教育はあるのだ。

これが原則。
シビれる。

だから、教育を学校だけに任せるなんて
本来はありえないのだ。

親、先生とは違う
第3、第4の価値観を持つ大人が必要だという。

だから武道教室やスポーツ教室
はすごくいいのだ。と。
そこには、指導者の価値観で支配された
空間があるはずだから。

地域の中にそんな空間をつくっていくこと。
それが自然な営みだよね。

「すべては自然か不自然か。」
そこが判断基準になる。

そうすると、
オールオアナッシングな教育空間は、
日本人にとって、まったく自然な空間ではないような。

この本にはこうも書いてある。
子どもが学ぶには「謎」が必要。

たしかに。
そういうテレビ番組はやっているし。
ドラえもんとかのアニメもそうだったりするし。

それを地域の大人が演出しないといけない。

「このおっさんはなんでそんなにフレンドリーにしてくるのか?」
とか
「なんでそんなに真剣にお祭りに取り組んでいるのか?」
とか

そういう謎を子ども与える大人が
ひょっとして教育に貢献する大人になるのかもしれない。

オールオアナッシングを超えて、
地域に謎をたくさん作っていこう。  

Posted by ニシダタクジ at 06:18Comments(0)日記

2011年10月16日

新潟日報夕刊に掲載

10月13日付
新潟日報夕刊の
「本屋さんの本棚」で紹介されました。

昨日はその記事を見て、
買いに来てくれて、
7年ぶりくらいの再会がありました。

熱い教育談義となりました。
熱い学校の先生のステーションになりたいなあ。

どんどん、動き出しています。
本屋は世界を変えられる仕事です。

いや。
駐車場のおじさんだって、
世界は変えられる。



  

Posted by ニシダタクジ at 06:38Comments(0)日記

2011年10月14日

感性とワクワクが仕事をつくる

サービス業は感性を活かす仕事だ。
お客様の立場に立って、
どんなサービスがあったらいいのか、
考え、予測して、サービスすることだ。

だから、本当は
感性の豊かな人が向いているのだろう。

ビジネスモデルがあるから、そこに事業が生まれるのではなく、
同じ未来を見ている者同士がつながり合うことで、事業が生まれる。
by セス・ゴーディン(神田昌典監訳 働き方3.0)

まさにこれだ!
って思った。

だから、仕事づくりはビジネスモデルを作るより先に、
同じ未来を見るもの同士を合わせることだ。

これからのインキュベーション施設の
キーワードがここにある。

だから、カフェが、本屋が、ビジネスを生んでいくのだ。
感性とワクワクが仕事をつくるのだ。  

Posted by ニシダタクジ at 06:21Comments(0)日記

2011年10月13日

「誇り」の実体

「誇り」とは、いったいなんだろうか?

農家としての誇りを持つ。
地域に誇りを持つ。
日本人としての誇りを持つ。

それは、どこから来るのか。
いちばんは、歴史。

おそらくはそこだ。
自分たちの歩み、先人たちの苦労。

そんなことを実感できたとき、
誇りが生まれていく。

そこには、「尊敬」がある。
そして「感謝」がある。

その、「尊敬」と「感謝」を失ったから、
「誇り」そのものがなくなったのではないか。

伏見工業山口良治先生が題材の
プロジェクトXで、
同僚の先生が言う。

「山口先生、伏工をラグビーで日本一にしてください。
この学校には誇りが必要なんです。」

そう。
誇りが必要なんだ。

だとすれば、どのように誇りを産んでいくのか?
いや、取り戻していくのか。

歴史。
尊敬。
感謝。

それは、古来から生活の中心であった農業や祭などから、
取り戻していくことなのかもしれない。
にいがた総おどりはそういった取り組みなのだと思う。

だから、「農」を舞台に、
誇りを取り戻していく、そんな仕組みができるのではないか。

「誇り」がひとりひとりの生きる力を生んでいく、と僕は考える。  

Posted by ニシダタクジ at 05:40Comments(0)言葉

2011年10月12日

リスペクトとコミュニティ

「MOTTAINAI(もったいない)」で有名になった
ケニアの活動家、マータイさんが死去。

「MOTTAINAI」とは、
環境で言われる3R(Reduce・減量、Reuse・再利用、Recycle・再資源化)
にRespect・尊敬の念を加えた言葉とされる。

リスペクト。
これは、日本人が古来より持っていた
大切な精神だった。

そして、コミュニティはまさに「リスペクト」を
中心として成り立っていたのだ。

士農工商。
武士は貧しくはあったが、
武士道を貫き、尊敬される存在であった。

農村コミュニティ。
先人の知恵を敬い、
祭りで神に感謝をする、リスペクトあふれた文化を形成した。

企業社会。
大企業と呼ばれた成長企業の経営者は
多くの人から好かれ、また尊敬の対象であった。

学校社会。
知を持つ先生たちは、
それだけで尊敬の対象であった。

いま。
コミュニティは崩壊した。
いや。
一部のコミュニティが崩壊してしまった。

士農工商の身分制度はなくなった。
農村コミュニティは、冬に食品加工をするのではなく、
会社勤めとの兼業農家になり、
地域のお年寄りの役割が少なくなった。

会社や学校で、
尊敬する師匠に出会えるのは
なかなか難しくなった。

だから、コミュニティは崩壊したのではないか。

現に、いまでも多くの人を惹きつけるコミュニティがある。

茶道の家元。
流れるようなお手前に、心が躍る、そんな茶の師匠。

スポーツ選手。
血のにじむような努力の結果、そのスポーツの第一人者となり、後輩を指導する。

新興宗教やネットワークビジネスもそうだ。
教祖様や成功者たちを尊敬するからこそ、コミュニティが維持できる。

だとすれば、
地域コミュニティを再生するには、
「リスペクト」を取り戻していくことが必要なのではないか。

「コミュニティ」とは、コミュニケーションの場だ。
しかし、それだけでは、コミュニティとして弱いし、
そこに秩序は生まれない。

リスペクトする対象があること。
そしてそれをリスペクトする人がいること。

こうして、コミュニティはふたたび構築されていく。

「農」を中心に、リスペクトをベースに、コミュニティを構築する。
地域も、人々も、そんな社会を待っているのではないだろうか。  

Posted by ニシダタクジ at 07:08Comments(0)学び

2011年10月10日

感謝

一歩一歩、
膝と足首に痛みが走る。
でも、この先に待っている人がいるから、
行かなくちゃって思う。

ここまできたら、折り返しまでいこう。
折り返したら、25kmまで走ってみよう。

ということで。

僕の新潟シティマラソンは
ハーフマラソン25kmを走り、
5km歩いて、30km地点でバス収容という
結果になりました。

ただただ、感謝の気持ちでいっぱいでした。
「走る時間あったら、早く家に帰れ」とか言わずに
支えてくれた家族と
仕事中や店番途中で走りに行っても
あたたかい目で見守ってくれた仲間と、

20年ぶりのハードな運動に、
文句ひとつ言わずに付き合ってくれた僕の体に、
心から感謝します。

ありがとうございました。

PS
階段の上り下りが若干困難になっておりますので
よろしくお願いします。  

Posted by ニシダタクジ at 06:00Comments(0)日記

2011年10月09日

農業を軸に、地域社会をつなぎなおす

つながっていること。
多くの人の欲求の中にあるもの。

そうか。
農業社会から工業社会へ。
そして大量消費社会から情報社会へ。

みんな、つながっていたいから、
テレビを買い、パソコンを買い、ケータイを買った。

みんな、世の中につながっていたいから
テレビコマーシャルの言うとおりに、
モノを買っていた。

ところが。

つながりたいと思っていたのに、
残されたのは、どこまでも分断された社会だった。

農業は高齢化し、地域の共同作業はなくなった。
商店街は崩壊し、地域のつながりは消えた。
そして、家族という生活単位は崩壊し、
買い物難民ならぬ会話難民が生まれた。

子どもたちはなるべき将来のモデルを失い、
人生に希望を持つことが難しくなった。

「いつの間にか、何もかも切れちまった。」

そんなセリフが似合う世の中に今、僕たちは生きている。

しかし。
もしその根源的欲求が「つながりたい」
というものであるならば、復活は可能だ。

まずは「農」を機能化する。
それはたとえば、平易なコミュニケーション機会の提供であり、
共同作業による、人間関係の構築である。

その入り口から、「農」を産業化する。

それは今風に言えば、「6次産業化」なのであるが、
「農」を中心に集まってくる人たちが、
若者のため、地域のために、ビジネスを構築していく。

そんな仕組みが新潟でできないだろうか。

新潟という土地のポテンシャルを活かした、
新しいコミュニティのカタチがもうすぐ見えてくる。  

Posted by ニシダタクジ at 06:19Comments(0)アイデア

2011年10月08日

SANCTUARY

売れました。
SANCTUARY。
大学2年生に。

この本売れるとうれしいですね。
10年以上前、僕は電車の中で読んでいて、
泣いてしまったこの本。

名コピー
「僕が市長なら、成人式にこの本を贈るだろう。」
を生み出した本。

この本を読んで、
「おれもこんな仲間と仕事がしたい。」
と心から思った。

いま、だんだんと近づいている。
俺たちのSANCTUARYを一緒に創ろう。  

Posted by ニシダタクジ at 06:44Comments(0)